2011年08月31日
草食系男子

誰が何と言おうが、
鹿です。
しかも(シャレではない)
れっきとした成人男子であります。
ホラ、角が生えてるでしょ。
ご存知のように、鹿は草食。
見た目もキュートで優しい雰囲気。
世間では「草食系男子」と言うと、
なにやら消極的で覇気がなく、情けないイメージ。
しかし(シャレじゃないよ)
鹿の男子はきっとそれを聞くと憤慨するのでは?
鹿は草食ではありますが、
ものの本によりますと、
「生来、淫乱で、オスは常に複数のメスと交尾する」
とか、
「鹿は多淫で、オスは夜になると鳴いてメスを呼ぶ。
秋の夜は最も盛んである。」
なんて書いてあるのですよ。
草食だって、やる時ゃやります。
キリンさんたら、どんな本を読んでるの?
と、いぶかしんではいけません。
れっきとした漢方の本に書いてあるのですから。
そう、漢方では鹿の、ある部位を使います。
それはオスに限られたものです。
そこのアナタ、何を考えてるんですか。
それは角なんですよ。オスにしか生えませんからね。
漢方薬として使われるのは
「鹿茸(ろくじょう)」といって、
角がまだ生え始めで角化する前の柔らかい頃のモノです。
鹿の角は、生え始めてから完成するまで、わずか二ヶ月。
草木でもこれほど成長の早いものはない。
つまり、鹿の角にはそれだけの生命力が秘められているので、
人間様がちゃっかりそれを頂こうという寸法です。
何に使うのか?
漢方で言うと、これは補腎薬というカテゴリー。
人間の生命力を一本のロウソクとします。
そのロウソクの炎が小さく力弱いとき、
鹿茸には、その炎を大きく燃やしてくれるというパワーがあります。
でも、もともと大きい炎をより大きくはしません。
必要ないことはしないのです。
そこが西洋薬と違うところ。
具体的に言うと、
精力剤として、不妊症に、成長未熟に、
下半身の冷えに、老化に、
腰痛、夜尿症、老眼、白髪など、
生命力の炎のパワー不足が原因と思われる場合、
いろいろな症状に使われます。
一見パワフルで生命力に満ちていそうな
ライオンや虎よりも、
鹿の方が使えるってとこが不思議ですね。
ちょっと話はずれますが、
やはり漢方薬で
「淫羊藿(いんようかく)」という植物があります。
この名前の由来は、
淫羊藿を食べていた羊が精力絶倫となり、
毎晩100頭の牝と交尾したという伝説から来てるんです。
草食動物って、
なかなか侮れないヤツラなんですよ。
人間の草食系男子も、
やる時ゃやるんだぜ!!ってなトコロ、見せてほしいものですが。
現実は違うみたいで残念。
そうそう、
本の中には
「鹿は好んで亀を食べる」
という記述も。
草食性というか、意外と雑食なのかもね。
2011年08月26日
メカってやつは・・・・

先日、某所にてトイレに入りました。
照明は抑え目で、広々とした落ち着きのある空間。
手前にシックな洗面台があり、
奥の方にオシャレな便器が鎮座しておりました。
なのだが・・・。
私がドアを開けてそこに入った瞬間、
開いていた便器のフタが、
音もなく静かに閉じて行くのが見えたのです。
か、怪奇現象か!!!?????
なんてあわてるほど子供じゃありませんよ。
前に某ブログで知ってました。
ああ、これがセンサーでフタが開閉するという
メカ便器なのだと、感慨をもって見つめる私。
しかし、そこに小さな違和感が。
あれ?普通これって、
人が出て行ったら閉まって、入ったら開くのでは???
なんで私が入ったら閉まるのか???
軽くムカついた私は、
少し強めに便器のフタに手をかけて
開けようとしました。
あ、開かない!!!
思いのほか、便器のフタは強い力で私に抵抗しやがったのです。
その裏切りに
「うっそ~~~~・・」
と軽くつぶやきながら手を離す私。
すると、その瞬間を待っていたかのようなタイミングで
ぱか~~~~~~~~~~っ・・・・・
と、フタはオープンしたのでありました。
まるで私をあざ笑うかのように。
不信感に満ち満ちた私は、
しばらく逡巡しておりましたが、
しかたないので
ささっと腰掛け、出来るだけ素早く用を済ませ、
ぱぱっ立ち上がったのでありました。
だって、
座っている間に、
いつ背後からフタが襲ってくるかもしれんという恐怖が。
がしっと腰をくわえられるのではなかろうかと。
かろうじて攻撃を免れ、
ほっとしながら手を洗っていると、
便器の方からざーーっと音が聞こえてきました。
そうか・・流してなかったのね・・・。
あざわらうかのような水音を聞きながら、
完全な敗北感に打ちひしがれた私。
ドアを閉めるとき、
その間から
フタがゆっくりと閉まっていくのが見えたのでした。
2011年08月23日
男は急に止まれないこともない(18禁)

副題・・・昼下がりの情事
昨日のブログで一番リクエストが多かったのがコレ。(特に男性)
最初に言っておきますが、期待しすぎないでね。
それから、色々と差し障ることもあるので
固有名詞の特定など考えないで、
お好きな俳優さんを想像してお楽しみください。
とある人妻(友達なんですけど)から聞いた話。
晴れた日曜日の昼下がり、彼女は家に一人でおりました。
夫と子供達は夜まで帰ってきません。
彼女はその頃PTAの役員をしており、
その日は同じ役員をしている、
某お父さんが来ることになっていました。
事務的な仕事があったので、
一緒に片付けてしまおうというコンタ・・いえ、計画です。
二人はお互い30代後半、
歳も近く、とても気が合ったので、
日頃から仲の良い間柄でありました。
仕事も簡単に片付いて、
あとは楽しくおしゃべりをしていたのですが、
せっかくだからビールでも、なんて話になって飲み始めたのです。
昼間の酒は、まわるのが早いものです・・。
いつの間にか、若い頃の恋愛の話やお互いの伴侶の愚痴になり、
男性の方がぽつんと言いました。
「アンタと結婚したらよかった・・。」
彼女も
「私も・・・。」
お互い見交わす顏と顏、見つめ合う目と目、
さあ、そこからは言葉はいらない世界の始まり。
ソファに倒れこむ二人。
あんなことや、こんなこと。
ところが、彼女は突然、我にかえりました。
「ダメ!!!!!!!!」
いきなりの拒絶にひるむ男性。
「な、なんで?」
彼女が心の中で叫んだのは、
「今日はピップエレキバン貼ってるんやったーーーー!!!!!!」
肩と背中がパンパンに凝っていた彼女は、
肩と背中に、あの丸いバンソーコーをびっしり貼っていたわけで、
それを見られるくらいならと、死ぬ気で抵抗したそうな。
男性はその様子に
「ゴメン。お互い子供も家庭もあるもんな。」
と言ってストップしてくれたのだそうです。
その後も少し名残惜しそうに、
「ホンマに相手が大事やったら、
男も途中で止める事が出来るんやで。」
などと言ってたそうです。
それ聞いたら、なんかちょっと悪かったなーと思ったそうですが、
その頃には、酒の酔いも色っぽい気分もすっかり冷めてしまい、
早く帰ってほしかったと言うのだから、女って勝手な生き物なのかもね。
その後は何もなかったかのように役員を務め、
子供が卒業したら会うこともないとか。
今にして思えば惜しかった、なんて言ってるけど、
ピップエレキバンは二つの家庭の崩壊を防いでくれたのかもよ。
ね?たいした話じゃなかったでしょ?
2011年08月22日
何のお話が聞きたい?

土曜日の夜、3時半頃まで飲んでいたのが
未だにタタッております。
その上、昨夜は「狂った果実」という映画を観てしまい、
またまた睡眠不足です。
(この頃の岡田真澄が好きなので)
頭がうまく働かず、
ブログの記事を何にしようか考えているのですが
まとまりません。
そこで、皆様のご意見を募集することに。
次のタイトルの中から、
読んでみたいお話を選んでください。
ご応募くださった方には何かいいことがあるかもしれませんが、
ないかもしれません。(どっちじゃ)
1.おいてけぼりの春
2・高麗人参の効能効果
3・はじめての葉巻
4・堕落論とワニ
5・男は急に止まれないこともない(18禁)
6・病名漢方
7・声を出して読みたい
8・いくさ上手は戦わない
とりとめもなく思いつくままに挙げてみました。
さて、どれが面白そう?
2011年08月19日
お姫さまごっこ

友達から着物を見に来いと要請があり、
行って参りました。
もともと貸し衣装を営んでいたのだけど、
店をたたむので、
気に入ったのがあれば廉価で譲るとのこと。
キャーー!!!着物!!!
思い出すのは子供の頃、
友達を家に呼んで繰り広げたお姫さまごっこ。
今にして思えば、
実に贅沢な遊びなのですが。
当時はテレビなどでは、まだお姫さまモノ全盛期でした。
あんみつ姫は漫画が原作ですが、
松島トモ子さんで実写版が。
琴姫七変化と言えば、
ヒロインは松山蓉子さん。
そう、初代ボンカレーの女の人です。
琴姫はお姫さまなのに
時には男装の麗人となって、
ハカマ姿で馬に乗り、刀も使うのです。しかも強い。
昔から強い女性にあこがれていた私は
この琴姫だ大好きだったんです。
おっと話がずれたわ。
お姫さまごっこというのは、
箪笥の中から着物を出して、打ち掛けのように羽織り、
自分たちで作った架空の物語を繰り広げるという遊び。
着物はもちろん母のですから、
裄も丈も大人用で長い。
それを羽織ると、
あたかも源氏絵巻のようなお引きずり姫の出来上がりなのです。
小学校低学年の女の子たちが、
「姫、殿のおなりです。」
とか、
「あいわかった。」
とか、
「やはり家老の陰謀か。」
とか、
すっかりなりきって遊ぶのですから、
こっそり覗き見た人がいたとしたら
抱腹絶倒であったでしょう。
もちろん上等の着物は使わせてもらえず、
許可がおりているのは普段着ばかりでした。
それでも着物の裾を長く引きずって歩くのは
少女にはこたえられない快感で、
「姫、わがままはなりませぬぞ。」
「いやじゃいやじゃ、わらわはいやじゃ。」
なんちゅう白日夢を演じていたのでした。
夕べはそういうわけにはいきませんでしたが、
(アタリマエだが)
美しい着物を取っ替え引っ替え羽織っては、
心の中で
「よきにはからえ。」
なんてつぶやいたのであります。
皆様も、気が滅入ってしかたない時には、
このお姫さまごっこをやってみては如何?
気持ちいいですよ。
男性は、反物プレイでも。
2011年08月18日
小さな恋のメロディー

恋多き女、キリンさん。
というのは嘘で、単に気が多かっただけなんですが。
今日は小学校の思い出をひとつ。
低学年の頃の同級生といえば、
乱暴でウソツキで意地悪なジュンくんとか、
これまた乱暴で成績の悪いソガメくんとか、
やっぱり乱暴でお調子者のミッくんとか、
とりあえず「乱暴」とは切り離せない
野蛮な男子ばかりでありました。
一人、何故か女子にモテモテの
コヤナギくんがいたけど、
こいつは成績もよく顏もいいのだが、
いかんせん泣き虫なのでタイプではなかった。
その中で、なんとなく気になっていたのが、
ヒロシくんなのでした。
ヒロシくんは、
大人しいのだけど運動は出来るし、
活発な男子のグループにいるけど乱暴ではなく、
家は大きな新しい二階建てで、暖炉があるというウワサ。
難を言えば舌がまわらず、
「たんぽぽ」と言えなくて
「たんぽこ」と言っていたくらいでしたね。
それも二年生になったら克服し、
無理やり「たんぽこ」を言わせて喜んでいた女子を
がっかりさせたのですが。
二年生の二学期に、
ヒロシくんと私で学級委員をすることになりました。
チャンス!!!!!!!!
と思うほどまだ成熟してはいなかったけど、
なんとなく仲良くなれるかも、
という期待にドキドキ。
ドキドキ、ドキドキ、
してるうちに、二学期は終ってしまったのでしたが。
二学期の終業式の日の夕方、
私は小学校の校庭に遊びにいきました。
近いので、しょっちゅう行ってたんですけどね。
砂場で一人、砂の山を作っていると、
後に人の気配が・・・・。
だれ?と思って振り向くと、
そこにはヒロシくんが、
私に背を向けるようにして、
やはり砂の山を作っているではありませんか!!!
キャー!!!!ヒロシくんだよ!!!!
チャーーーーンス!!!!!
とは、やはり思わなかったけど、
胸はドキドキ高鳴ります。
なにか声をかけようかなあ。
何て言えばいいのかなあ。
でも、いやがられるかも。
向こうから何か言ってくれないかなあ。
頭の中は爆発しそうに色んなこと考えていても、
言葉にはならなくて、
ただ黙々と砂の山を高く積むばかり。
何度も手でたたき、
砂の山が固くなり過ぎたころ、
おひさまも山に沈んであたりは暗くなってきました。
それでもまだ、
二人は動きもせずに山をペタペタとたたくばかりです。
とうとう、
ヒロシくんが立ち上がり、
向こうをむいたまま、
「学級委員も終わったのう。」
と、ぽつりと言いました。
「うん。」
それだけ言うのが精一杯で、
そのあと二人は顏を合わせもせず、
そのまま真っ直ぐ歩いて家に帰ったのでありました。
たったそれだけの、短いやりとりでしたが、
いま思い出しても心が少し温かくなるのです。
まだ木造だった校舎、
砂場とぶらんこと国旗掲揚代、
低い山並みに沈んだ夕日、
それぞれが、
くっきり、はっきり、頭に浮かぶのでした。
2011年08月17日
地下室

高校一年生のとき、
友達がある短編の話をしてくれました。
作者も題も、細かいところも忘れましたが、
地下室の話だということは覚えています。
ある二人の男が賭けをしました。
一人は地下室の中に入り、
もう一人は外から鍵をかけるのです。
何時間だったか、何日だったか忘れましたが、
一定の間、地下室の男が外へ出られなければ、
その男の負け。
まんまと外へ出ることができたら、
勝ちという設定です。
たしか大金が賭けられていたように記憶します。
鍵を持っている男は、
ドアの外で見張っています。
中の男が何をしているかはわかりません。
最初のうちは、
中の男は色々と話しかけてきました。
出してくれたら秘密を教えるとか、
美しい妹がいるから結婚させてやるとか。
外の男はそんな言葉には騙されるもんか、
と、絶対に鍵を開けようとはしません。
そして刻々と時は過ぎて、
約束の時間に近付いてきました。
すると、中の男の様子がヘンなのです。
しきりに苦しい苦しいと訴えます。
空気が薄くなってきたと言うのです。
次第に声は緊迫し、
苦しくて息が出来ない、このままでは死んでしまう、
と、真に迫った声になってきました。
中からドアを必死でたたく音に合わせて、
自分が悪かった、賭けは自分の負けでいいから開けてくれ、
そう叫ぶのです。
外の男は、きっと嘘に違いないと思うのですが、
あまりの切羽詰った声に、
もしかしたら・・・と不安になってきました。
開けてくれ!!開けてくれ!!!
死んでしまう!!!!
そう叫んでいた声が、だんだん小さくなり、
ドアを叩く音も消え、
中からは何の物音もしなくなりました。
おい、大丈夫か?
と声をかけても返事はありません。
時計を見ると、約束の時間にはまだ間があります。
もしも本当に空気がなくなったとしたら、
早く病院に連れて行かなければ死んでしまうかもしれない。
だったら一刻も早くここを開けなければ。
しかし、これが嘘だったら賭けに負けてしまう。
大金を失うことになるのだ。
だけど、これで死んでしまったら、
自分は人殺しになるのか?金だって入らない。
外の男は迷います。
この話は、鍵を手に握り締めるところで終わってしまい、
男が開けたか開けなかったのか、
中の男は嘘をついていたのかいなかったのか、
それは謎なのでした。
友達は私に、
「アンタじゃったらどうする?開ける?開けん?」
と問いかけました。
私の答えですか?それは
「そんな賭けするかい。」
2011年08月16日
あぶない断食

当店では、酵素を使った断食をおススメしています。
しかしながら、
断食にも色々なやり方がありまして、
ご存知のように
断食道場のような本格的なものもあれば、
何かのジュースやスープを使うものもあれば、
修行として、水しか飲まないという、
本当の断食というものもあります。
それぞれが
理論と目的に基づいたものであり、
指導に従って進める断食というものは、
決して怖いものではありません。
あぶないのは「自己流断食」。
今の日本人はほとんどが飽食だから、
しばらく食べなくても死ぬことはない。
たしかにそうかもしれませんが、
死ぬことはなくても、
体調を崩してしまう可能性はあります。
途中で想定外のことが起こったとき、
自己流だと、
どうして良いかわからなくなり、
間違った対処をしてしまう可能性があります。
あるいは断食を中止して、
断食そのものを怖いものだと、否定的に考えてしまったり。
当店で断食をしてもらってる人の中にも、
色んな症状が出て来ることがあります。
・便秘する
・下痢する
・頭痛がする
・冷える
・のぼせる
・眠くなる
・湿疹がでる
・お腹に沁みて痛い
・吐きそうになる
・体脂肪率が増えた
・フラフラする
・イライラする
・腹が減ってタマラン
いちいち解説はしませんが、
この中の多くは、
当然そうなるだろから気にしないでいいもの、
好転反応だから喜ばしいものだったりするのですが、
やり方が正しくないために起る、
そういうものもあります。
一番あるのが、飲む量が足りない場合。
おかしいなあと思ったとき、
すぐに相談してもらえれば、すぐに解決します。
体質の問題もあって
どうしても苦痛だという症状が出れば、
「ここでやめましょう。」
という選択も有りです。
荒行のための断食ではないのですから、
石にかじり付いても、という精神状態は良くないと考えるからです。
その人は一生もう断食が出来ないのではなく、
体調を調えて再びチャレンジすれば良いのです。
一日だけ断食してみるとか、
夜だけしてみるという選択肢もあります。
相談しながらの断食の利点は、
そういったオーダーメイドの柔軟性です。
その結果、
「やって良かった!!」
という喜びの声を本当にたくさん聞くことが出来、
リピーターも大勢いてくれるんですね。
自己流でも、良い結果が出ることも
もちろんあると思いますが、
指導を受けながら進めた方がリスクは減ると思いますよ。
今日の話はオチがないので
ちょっとウケそうな話を入れようかと考えたのですが、
それがイカンのかもしれないと思い返し、
ここで終わります。
キリンさん=おちゃらけた人
ではなく、
キリンさん=賢いクールな大人
というイメージの定着が目標です。
2011年08月15日
もはや戦後ではない。

戦争どころか、戦後すら知らない世代の方が多いのかな。
そう思う今日この頃です。
私が子供の頃は、
まだ戦争があったのだという痕跡は残っておりました。
防空壕はいたるところに残ってましたし、
ノースキャンプと呼ばれる土地もありました。
広島県の呉には海軍工廠という海軍の基地があって、
戦艦大和が造られたことで知られています。
私の実家は呉市の中の広というところなのですが、
広にも海軍工廠があったのです。
そのせいか、
戦後は大勢のアメリカ軍が進駐して来て、
専用の住居が広い範囲にわたって造られており、
そこをノースキャンプと呼んでいたようです。
日本人が食うや食わずの時に、
金網の向こうでは灯りが熇熇と灯り、
夜になるとダンスパーティーの華やかな音楽が聞こえ、
別世界のようだったと言います。
父の幼なじみは
そこに食料を盗みに入り、
その場で射殺されたのだとか。
私が物心ついた時には
もうアメリカ軍は引き上げたあとでしたが、
ノースキャンプの施設はそのまま残っており、
日本の企業の社宅になったり
してました。
そこは不思議な一角でしたね。
木の塀に囲まれた瓦屋根なのだけど、
塀と柱は緑色に塗られているのです。
家の壁はクリーム色がかった白っぽいしっくいで、
黒い小さな黒板のようなモノが
塀と壁に貼られており、
2037、みたいな4桁の数字が白いペンキで書かれているのです。
玄関は引き戸ではなく開き戸で、
木の枠がついていました。
そして日本の家に当時は見られなかった、
網戸が内側についていました。
トイレは洋式の水洗で、
上にタンクがあって、
そこから下がっている鎖のようなものを引くと、
水が流れる仕組み。
ノースキャンプの道は当時としては広く、
碁盤の目のように走っており、
松の木が並木として植えられていました。
中心には集会所のような大きな洋館があって、
中を覗くと、
広い部屋に暖炉があるのが見えました。
その横には広い運動場のような場所があり、
片隅には小さな公衆トイレくらいの大きさの建物がありました。
そこにはドアがなく、灯りもなく、
覗いてみると階段が5段くらい地下に降りるようになっていて、
窓もないもんだから薄暗くて怖いところでした。
そこの奥には英語がかかれた小さなダンボールが
いくつもあって、
その中には得体の知れない薬がバラバラと入っていました。
何の薬だかサッパリわかりませんでしたね。当然だけど。
その中でも、錠剤と粉はまだしも、
カプセルは不気味な存在でありました。
だって、誰も見たことなかったんですもの。
カプセルを。
どれも綺麗でした。
二色の細長いモノはツルツルしてスマートでした。
「なんじゃろう・・・これ・・。」
男の子がいじっていると、
パカッと割れて、中から粉がこぼれました。
うわわわっ!!!!
みんな大慌てです。
だって、そこに入ってはいけないと言われてたからね。
子供達のウワサでは、
いつか進駐軍がまたやってきて、
そこにある物を回収して帰るのだから
下手にいじると罰が下ると信じられていました。
粉をこぼして汚した跡があったら、
バレてしまいます。
全員がそこから飛び出し、走って逃げ、
しばらくはそこに近付かなかったのを覚えています。
でも、そのうちに、
進駐軍はもう来ないからいいらしいということになり、
その薬を使ってお医者さんごっこしたりして
遊んでましたけど。
藁葺き屋根の家と、段々畑と田んぼと、
川には水車がまだあった田舎に、
そこだけ空気の色まで違うように思えたノースキャンプは、
戦後という言葉とセットになって
私の心の中に残っております。
だらだら書き連ねた思い出話、
読んでくれてありがとう。
今日は終戦記念日です。
2011年08月12日
誕生日おめでとう

今日は私の誕生日です。
というのは大嘘でして、弟の誕生日なのです。
画像で幼い私にいじめられている、もっと幼いうすらハゲが、
その弟。
思えばあのときも、
よく晴れた暑い夏の日でありました。
三歳半になる私は、近所の友達と我が家の庭で遊んでいました。
真夏の濃い緑の庭に、
真っ白いシーツが眩しく、
門の外側に出て隣の家の影に入っていたとき、
橋の向こうからおじいちゃんがバイクでやって来るのが見えました。
バイクから降りるのももどかしく、
座席にまたがったまま、
おじいちゃんは大きな声で
「つかさちゃん、弟が生まれたで!!!」
と、報告してくれたのです。
よほど嬉しかったのでしょうねえ。
それを聞いた私は・・・・・・がっかり・・・・・。
だってだって、妹が欲しかったんだもん。
友達にも
「妹が生まれるはず。絶対に女の子。」
と言ってたもんでウソツキと言われるし、立つ瀬が無い。
あの時の落胆は、今でも忘れません。
そんな弟でしたが、
色々と役に立ってくれました。
おねしょの濡れ衣を被ってくれたり、
つまみ食いの濡れ衣を被ってくれたり、
お財布から小銭をちょろまかした罪を被ってくれたり、
しました。
騙されて使いっ走りもしてくれたし、
騙されてオヤツを分けてもくれたし、
ちょろい・・・いや、優しい弟でありました。
妹を持ったことがないので
世の妹というものがどんなものか、よくわからないけど、
きっと弟のように単純に騙されることはなかったかもね。
それから弟でよかったのは、
運動神経が良いところです。
学年で4つ違うのだけど、
山でも川でもついて来ましたね。
ほったらかすことも多かったけれど、
身体能力があるので足手まといではなかった。
男子にウケがよかったのには腹が立ったけど、
それは帰ってから投げ飛ばして
ウサを晴らせばよかったし。
今は広島で二人の子供の父となり、
一生懸命お仕事しているようです。
がんばれ、弟。
輝く広島の星となれ!!!!
昔の恨みは忘れてね。
2011年08月09日
長崎
本日は
長崎に原爆が投下された日です。
広島の日は黙祷するのだけど、
長崎の場合は仕事中なので、
毎年出来ません。ごめんなさい。
でも忘れたことはありません。
今年は福島のこともあるから
もっと取り上げられるかと思っていたけど、
いつもより静かですね。
何故なんでしょう。
みんなで考えるには良い機会だと思うのですが。
如何なものでしょう。
長崎に原爆が投下された日です。
広島の日は黙祷するのだけど、
長崎の場合は仕事中なので、
毎年出来ません。ごめんなさい。
でも忘れたことはありません。
今年は福島のこともあるから
もっと取り上げられるかと思っていたけど、
いつもより静かですね。
何故なんでしょう。
みんなで考えるには良い機会だと思うのですが。
如何なものでしょう。
2011年08月08日
誰にでも間違いはある、とは言え。

昨日は博多で勉強会がありました。
この集まりは若い人が多いので、
参加すると元気が出ます。
その勉強会に
色々とお世話になっている
北九州の薬屋さんが来るということなので、
お礼を兼ねてチーズ饅頭を買っていきました。
会うのは去年の9月以来です。
ただ、他の人もいっぱいいる中で
一人にだけお土産を渡すのは
案外タイミングが難しいもの。
ちゃんと渡せるかなあとドキドキ。
会場に着いてみると、
まだ誰も来ていませんでした。
しばらく待っていると、
なんと、お土産を渡す予定の人が
一人で部屋に入って来たのです。
チャーンス!!!!!!
誰も来ないうちにと
お土産をかき抱き、パタパタと駈け寄りました。
「お久しぶりです!!
あんなにお世話になってるのに、
ずっとお礼もせずにスミマセン。
これ、つまらないものですがお土産です!!」
そういう私に彼は、
「いや、お世話なんて全然してませんけど。」
と言うのです。なんて謙虚な。
「とんでもない!!おかげでホントに助かってるんですよ。
気にせずに取っといて下さい。」
そのとき私は、
共通の知人である某メーカーのW君を思い出しました。
「〇〇の(メーカー名)W君からも、お噂は聞いてます。」
すると彼は不思議そうに
「〇〇とは取引してないし、W君って思い当たらないけど。」
「いや、そんなはずは。しょっちゅう聞いてますもん。」
と言いながら私は、
はは~ん、W君は自分では仲良しと言ってるけど、
向こうはそれほど相手にしてないのね、可愛そうにと内心思っていました。
「そしたら、有り難く頂戴します。」
と彼が菓子の入った袋を受け取り、なおしているところへ、
何人かの人たちがドヤドヤと賑やかに入ってきました。
その人達の方を見た私は、私は、私は、
目が点に・・・・・。
あれ?世話になってる薬屋さんって、こっちの人じゃん・・・。
向こうも私に気付いてくれ、
「おう、久しぶり~~~!!!」
と親しげな笑みを浮かべて近寄って来ました。
お土産を、お土産を、渡したいのに、
あらへんがな~~~~~~!!!!!!!!!!
間違えて別の人に渡してしまうとは!!!!!!!
どうりで、さっきの人のリアクションが不自然だったのは、
知らない相手から意味不明なお礼を言われたあげく、
知らないメーカーの知らない担当の名前をあげられ、
知らんと言っているのに
「またまた~。」
ってな顏のオバサンにどう対処していいかわからなかったからなのね。
今さら返せとは言えず、
今回もまた義理を欠いたまま・・・・。
キリンさんが間違えるほど、
その二人は似ていたのか???
それがですね、
方や哀川翔に眼鏡をかけた顏、
本当の知り合いの方は、
吉田拓郎のちょっと若い頃みたいな顏なんですよ。
そんな二人を間違えるとは、
自分の頭の中の回路がどうなっているのか、
かち割って見てみたいくらいです。
何度も言うのだけれど、
私は決してわざと間違っているわけではなく、
一生懸命生きているのです。
それなのに、
なんで運命はいつも私を裏切るのだろうか。
とんと理解できないキリンさんなのでした。
あ、勉強会の内容はとても良かった。
今日からまた頑張ります。
2011年08月06日
2011年08月04日
怪談

昔、若い頃にラジオで聞いた話。
「亀の呪い」
「昔から・・・・・亀は・・・・・
歩くのが・・・・・・ノロい・・・・・。」
これが亀の呪い。
「猫の怨念」
「深い深い山の奥に、
古い古い寺があって・・・・そこに・・・・
猫がおんねん。」
これが猫の怨念。
あっ、石を投げないで下さい。
怖いと言えば、
うちのお客さんのご主人が初期の胃癌になった時の話。
手術の直前、
麻酔をかけられて手術室にベッドで運ばれるご主人。
奥さんは心配でたまらず、
ベッドに取りすがりながら
「あんた、大丈夫?怖くない?」
と聞いたところ、
ご主人は麻酔でモーローとなりながらも
しっかりした声で、
「手術は怖いことない。
オマエの顏の方がよほど怖い。」
それから10年以上たつけど
ご主人はお元気で、ご夫婦は円満なのですが、
何かあるたびに奥さんはこの話を持ち出して
ご主人をイビルそうな。
それもまた、愛の形。
2011年08月03日
広島県人として

中学校のとき、
塾に通っておりました。
その塾に通っているみんな、
プロ野球の結果には、とても関心を持っておりました。
広島東洋カープが勝つと、
ほっと胸を撫で下ろし、
負けると(特に巨人に負けると)、
とてもユウウツで胸が塞がれる思いになるのです。
さすが広島県人。
地元球団を愛する気持ちが強いのね。
と、思うでしょう?
たしかに地元球団を応援し、
熱狂的なファンを自認する男子も大勢おりましたが、
一番の理由は他にありました。
カープが負けると、
塾の先生の機嫌がめちゃめちゃ悪くなり、
生徒に八つ当たりとしか思えない仕打ちをするのです。
英語と数学の塾なのに、
いきなり漢字の書き取りをしたり、
女らしくないと頭を殴られたり。(被害者は私)
急に塾を休んだり。(これは嬉しかった)
またこれは聞いた話なのですが、
県外から出張で広島に来たサラリーマン二人が
タクシーの中でカープの悪口を散々言っていたそうです。
急にタクシーが停車。
ここはどこだと辺りを見回すと、
人気のない淋しげな場所。
運転手さんは冷たく
「お客さん、金はいらんけん、ここで下りて。」
と言ったそうな。
私の父も、熱心なカープファンであります。
ところがある日、
父の持ち物の中から一枚の写真が出てきました。
それは父が旅行に行ったとき、
新幹線のホームで撮ったもののようです。
嬉しそうに笑う父の顏、そしてその横には、横には、
「お父ちゃん、これ、原さん・・・・????」
今の巨人軍監督である原辰則氏。
当時は選手でありました。
父は一瞬ビクッとし、
まるでいけないオモチャを見つかった子供のような顏で、
「いや、原はなかなかええ奴で。
握手して下さい言うたら、気軽にしてくれたで。
にこにこしとったし。」
ころびキリシタンめ!!
この写真を踏んでみろ!!!!
とは言わずに心の中でつぶやきました。
お父ちゃん、
アナタは広島県人である以前に、
とてもミーハーな人だったんですね・・・・。
その血を受け継いでる私。
気をつけよう。
広島県人の誇りを忘れないように。
2011年08月02日
女が男に惚れる時

漫画家の一条ゆかりさんのエッセイの中に、
好きになる相手の条件というのが書いてありました。
その中の一つが
「私に何かを教えてくれる人」
これ、すっごくわかるという女性、多いのでは?
自分より物識りな男性に、私はすごく弱い。
そこで勘違いしちゃいけないのが、
「キリンさんはメカに弱いからメカのことを教えてあげれば
モテるかも。
(私にモテたい人がいるかどうかは、この際棚に上げておく)」
それは間違い。
私はメカのことなんか知るつもりもないので、
教えてもらえればスゴイなあと思うけど、
そのあとに来るのは
「こいつ、使える。しめしめ。」
なんて思うくらいのこと。
私自身がとても関心のある分野で、
自分でも少しは知識があるとうぬぼれているところ。
そこを攻められると非常に弱いのです。
たとえば、
こないだから紹介している漢方の本。
あの本の著者である偉い先生。
漢方の勉強を始めると、
漢文を読む必要もでてくるのですが、
私には思いでの漢文参考書がありました。
高校の時に先生から紹介されて買った、
文庫本サイズの
「漢文の記憶」というガイドブックです。
大学に入ってからは使うこともなく、
いつの間にか紛失してしまったこの本。
何十年もたってから、漢文を読むことになろうとは。
本屋で探してもどこにもありません。
誰に聞いても、
そんな本は聞いたこともないと言われます。
オマエの覚え違いであろうと。
幻の本だったのか?
先生とお話したときに、
漢文の話になり、
何気なくその本のことを話してみました。
すると先生は
「ああ、あれは明治書院が出してる奴だな。
絶版だろうが、こないだ神田の古本屋で見たぞ。
コンパクトでいい本だ。」
と、事も無げにおっしゃったのです。
・・・・・・・・・惚れた。
その他にも
幕末太陽傳という映画がお好きだったり(私も!!!)
坂口安吾という作家の堕落論がお好きだったり(私も!!!)
そして私が知っている以上のエピソードを必ずご存知で、
それを教えて下さるのですよ。
これで夢中にならないわけがない。
今は少し体調を崩されていて、
もしかしたら、もうお目にかかれないかもしれません。
でも先生は私の永遠のヒーローなのでした。
2011年08月01日
裏切りの街角

タイトルを見て
甲斐バンドを連想したアナタ、
同世代、ですね?
昨日は博多の勉強会に参加してきました。
これは
薬屋の薬屋による薬屋のための勉強会で、
計画から運営まで全部自分達でやるのですから、
なかなか大変。
でも、
絶滅危惧といわれる個人経営の薬屋さんたちは、
自分達の時代につぶすわけにはいかんとの気概を胸に頑張っているのです。
さて、昨日はバスで日帰の旅でした。
これでもなかなか忙しいので仕方ありません。
帰りは宮崎駅の裏まで、
娘が車で迎えに来てくれることになっていたのですが、
バスを降りてもどこにも車はいません。
実は娘はほとんどペーパードライバーなので、
きっとモタモタしているのでありましょう。
助手席のダーリンはきっとイライラしているはず。
(ダーリンは酒を飲んでいる時間だから運転は出来ない)
しばらくすると、
来ました。あの頼りない走りは娘の運転する車。
一般車が通る道を無視して
堂々とバスが通るところを通過。
一時停止で止まってるところを正面から見ると、
二人とも緊張しまくりの表情です。
笑いながら大きく手を振る私。
車が動き出し、
するすると私の前に来たので
止まらぬ笑いをこらえもせず、
ガハハハと声を立てつつドアに手を・・・
手をかけようとしたのですが、
車は止まらず動き続けるのです。
ええええ????????
きっと大笑いしたのを怒って意地悪してるのね。
「ちょっとちょっと。」
と大きな声をかけながら小走りになる私。
車は私を置き去り、信号の手前で停止。
しかたないのでそこまで走りました。
すると、
私がもうすぐ追いつこうとするのを待っていたかのように、
車はいきなり大胆にUターン。
はああああ???????
もとの道に戻ってぐるっと回って来るではありませんか。
まさか・・・・気付いてないのか?
あわててもとの場所に走る私。
そして自分の存在を認識してもらうために
必死で手をぶんぶん振り、私はここよとアピールしました。
今度ばかりは気付いてもらえ、
やっと車に乗り込んだのですが、
やはり見えてなかったというのです。
それにしても、
夜とはいえ、周りには他に人もいたし、
誰かを待ってる車も何台かいました。タクシーも。
その人たちは、
私の様子を見て、何と思ったのでしょうか。
大笑いして手を振って、でも車には無視され、
走っていったかと思うとまたUターン。
ああ、恥ずかしい。
しかしながら今回は私のせいではナイ。
娘は運転に必死。
ダーリンは娘の運転に必死。
二人とも私を探してなかった・・・。
何しに来たんじゃ。
ま、生きていれば色々ありますな。
勉強会でパワーをいっぱいもらいましたので
今週は張り切っていきたいと思っております。
そうそう、
ボン店はキャッシュバックセールが
日曜日まであります。
合計で一万円お買い物すると、五百円の金券がもらえます。
どうぞご利用下さい。ではでは。