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Posted by みやchan運営事務局 at

2015年10月28日

温灸、体験してみませんか?



ずいぶん寒くなってきましたね!!
くすりのキリン堂では「身も心も温まる」温灸をおススメしております。

いつもは画像のように、キリン堂店内で体験して頂いておりますが、
明日からはナント!!

ボンベルタ西館一階のウエストコートで、
「BEAUTY WEEK EVENT」に参加することになりましたので、
こちらでも体験できるんです。



チラシの一部を私が撮った。ちょっぴりトホホな映りでごめん。

いつもお世話になってる、プラウス美穂ちゃんも参加されます。



画像はイメージです。

そして、宮崎布なぷ母の会による、布なぷきんの販売もありますよ。

くすりのキリン堂の温灸体験は、一回・・・500円。
だいたい30分くらい体験できます。

10月29日(木)~11月1日(日) 13:00~16:00

それ以外の時間は、地下のくすりのキリン堂店内にお越しください。

今回は、宣伝でございました。
時間があったら遊びにいらしてね。では。
  

Posted by キリンさん at 18:50Comments(0)健康一般

2015年10月22日

松茸の思い出


しつこく松茸ネタでスミマセン。
自慢かって?自慢だよ。

友達から「松茸の思い出はなに?」
と聞かれました。

数々ある思い出の一つを披露しましょう。

それは小学校4年生の遠足でのこと。

当時の遠足といえば、ひたすら山に登ってばかりでした。
それもご近所の山です。

4年生の時の先生は、朗らかな女性の方でした。
山育ちの先生ですから足取りも軽く、みんなで歌いながらの行軍です。

最初は整列して登っていても、
もともと遊び慣れた場所なもんですから、徐々に乱れます。

「先生、ハジメくん達がいません!!」

「えっ、ほんまに!!??いつから!!??」

さっきまでいた男子の一群が、いつの間にかはぐれてしまったのです。

「みんな、い組の後についていって!!」
(私達は、ろ組。火消ではありませんが。)

引き返して男子たちを探す先生。
目くばせする私とY子さん。

そう、先生と行動をともにしようというのですよ。

先生も男子のことで頭がいっぱいだったのか、
ダメとは言われませんでした。

しばらくうろついていると、
シダが繁っているところからガサガサと音を立てながら、
ハジメ君たちが顔を出しました。

「あんたら!!」
と大声を出す先生の鼻先に、にゅっと突き出したもの。
それは・・・・

「先生、わしら、松茸狩りしょうたんで!」

20cmもあろうかと思われる巨大な松茸を、
誇らしげに掲げていたのです。

きゃーと歓声をあげる私とY子さんとは反対に、
先生は一瞬、言葉を失った感じ。
そして、

「ど、どこで?」

「あっち。」

「ダメでしょう!!松茸は、その山の持ち主のモノなんよ!!
 黙って取ったら泥棒よ!!」

冷水を浴びせられたように、全員がちぢこまりました。

「かしんさい!!先生が後で謝りに行って返します!!」

それからみんな、黙々と歩き、先に行った人たちに合流したのでありました。

先生は、松茸のことを他の先生にいいつけもせず、黙っていてくれました。
が、一つの疑惑が。

「先生、ほんまに返しに行ったんかね?」

こそこそ話し合った私達ですが、真相は薮の中であります。  

Posted by キリンさん at 16:13Comments(0)王様の耳はロバの耳

2015年10月19日

松茸の食べ方




広島に住んでいる娘が、
用事で宮崎に帰って来るというので頼みました。

「松茸、買ってきてね。」

「そのへんの八百屋さんにあるから。」
と、軽く頼んだのが大間違い。

だいたい八百屋さんがない。
世の中、変わったのね。

それでも頑張って手に入れてくれたのが、
画像の2本です。

お値段?それを聞いたら、

「キリンさんって、バカじゃないの?」
と言われるから秘密です。

その貴重な松茸をどうやって食べたのか?




それは「すきやき」なのだ。

またまた「キリンさんって、バカじゃないの?」
と言われそうですが、これが私のソウルフードの1つなのです。

子どもの頃、松茸はもっと一般的な食べ物でした。
そりゃあ、安いわけではなかったけど、今みたいにべらぼうな存在ではなく、
新聞紙に5~6本の包みを頂くこともよくあり、
秋になれば一度ならず食べていたのです。

それも、土瓶蒸しのようにチマチマと押し戴くのではなく、
どばっとすき焼きに入れて、豪快にむさぼるものなのでした。

すき焼きに入れたら、肝心のニオイが消えるのでは?

いえいえ、広島のマツタケは香りが高いのが特徴で、
すき焼きに入れたくらいで消えるものではありません。
味だって、野趣あふれる風味がタマラン美味しさなのだよ。

テレビで火野しょうへい(漢字忘れた)さんが言ってたけど、
勝新太郎さんがやはり「松茸はすき焼きに限る」と愛しておられたそうです。

そのゼイタクを、久々に味わいました。

松茸が不作になって久しい今日この頃。
手入れする人が減ったからとか、色んな理由があるみたいです。

どんどん食べる機会が減っていき、
今回だって、何年ぶりかわからんくらいです。

次回は果たしていつになるのやら。

それまで粗食にあまんじて、お金を貯めなければ。
食い意地の張ったキリンさんは、今日もお仕事にいそしむのでありました。


  

Posted by キリンさん at 16:04Comments(0)王様の耳はロバの耳

2015年10月08日

カープが負けてしまったら


夕べ、カープが負けてしまいました。
私の感想については、ノーコメントでお願いします。

もしも中学の頃の塾の先生が生きてたら、
どれほどの落胆であったでしょうか。

そう、塾の先生は熱烈なカープファン。
カープが負けようものなら、超不機嫌なのです。
いや、不機嫌だけならいいけど、八つ当たりしてくるんです。

数学と英語の塾なのに、漢字の書き取りテストをしたり、
「オマエの伯父さんが市会議員じゃというて、いばるな!!」
となぐられた男子もいました。(彼は大人しいタイプでまったくいばってません)

そんな困ったちゃんな先生でしたが、
教え方は面白くわかりやすかったので、私はこっそり尊敬していたのです。

中学2年になって、becauzeを習ったときのことです。

学校で習った訳し方を、塾では少し拡大して教わりました。

期末試験でbecauzeが出たとき、
私は迷わず塾の先生に言われた訳を書いたのですが、
返ってきた解答では、バツになっていたのです。

納得いかない私は、同じくバツをもらったツン子と一緒に、
「おかしいよねえ。〇のはずじゃろ。」
「先生が間違えとるよねえ。聞きに行こうか。」
と話し合い、英語の先生に聞きに行ったのです。

「ダメですよ、それは。間違いです。」

ぴしゃりと言われた私達は、

「だって、塾の先生は、それでもいいと言われました。」

子どもだったね、私達。

「学校と塾と、どっちを信じるのっ!!!!!」

先生は怒り心頭、立たされたまま長々と説教。
挙句の果てに校長室まで連れて行かれて、校長先生からまた説教。

あんまり怒られたので、ツン子と私は反省するどころか、
逆切れしてしまいまして、
よせばいいのに、塾の先生に言いつけてしまったのです。

「何をバカな!!間違ってませんよ!!」

ただでさえキレやすい先生、河童に似た禿げ頭まで真っ赤っか。
少し怖くなった私達が本当に後悔したのは、次の日のこと。

「ちょっと、アレ、タカミ先生じゃない?」

友達が指さす方を見ると、
広い校庭を、塾の先生が歩いて校舎に向かっている所でした。

「な、殴り込みか!!???」

ツン子と私は、思わぬ事の成り行きに、教室の陰で震えるばかり。

同じ塾の友達に、

「アンタらが、よけいなこと言うけんよ!乱闘になったらどうするん!!??」

どうしよう!!私ら、た、退学!!!???

どのくらい時間がたったか、長い長い時間のように思えましたが、
職員室から塾の先生が出てきて、そして校庭を横切り帰って行くのが見えました。

それから1週間ほど塾はお休みになったので、
もしや塾はお取り潰し!!??と、あらぬ疑いに悩みましたが、
何事もなかったかのように再開。

学校でどんないきさつがあったのか、誰に聞くこともできず、
全ては謎のまま終わりました。

そしてそして、その後で渡された通知表、
ツン子も私も思ったより低い点数だったのです。ショック。

「やっぱり、あのせいかね?」

そんな2人に、塾の先生は苦しそうに言いました。

「こんな点、つくはずないんですよ。こんな低い点数。
 もし、お母ちゃんかお父ちゃんに怒られたら、
 ほんまは2点くらい高いはずじゃとタカミ先生が言うたと言いんさい。

 信じてもらえんかったら、ここに連れて来んさい。」

家まで行くとは言わず、連れてこいというところが先生らしい。

学校で、塾の先生はどんな扱いを受けたのでしょうか。

この事件について、結論じみたことは言えないのですが、
やっぱり私はこの塾の先生が好きでした。

今でも大好きな恩師と思っています。

生きてたら、酒飲みながら(飲めんけど)カープの話をしたかったね。
おまえは似非ファンだと、怒られるかもしれないけどね。

  

Posted by キリンさん at 17:44Comments(2)王様の耳はロバの耳

2015年10月07日

50肩になったアラカンの私


このお方の肩は、どこなのでありましょうか。

9月の中ごろから、
なんとなく肩に違和感があり、
枕か?布団か?はたまた寝相なのか?
と、ぼんやり考えておりました。

が、ただの違和感が本格化してこれは痛い。やっぱり50肩だよね。
そう覚悟したのが9月末。

東京の薬剤師で鍼灸の資格を持つ仲間から、
「58歳で50肩なんだから、普通より若いってことですよ。」
と、慰めだか、褒め言葉だか、どうでもよかったのか、
わけのわからん声をかけてもらいました。

その言葉を聞いて、
私は早生まれだから、まだ58だけど、
同級生の多くは59歳という年齢なのだなあと、いまさら気付いたのです。

そう、それは立派なアラカン。還暦目前。

9歳のときは、とてもチビだったので、
早く10歳になりたかった。(10歳になってもチビはチビだったが)

19歳のときは酒飲んで御所をふらつき補導されかけたので、
早く20歳になりたかった。

29歳のときは、妊娠出産で頭がいっぱいだったので、
覚えていない。

39歳のときは、30代にしがみつきたくなくて、
早く40歳になりたかった。

そして「華の40代」を過ごしました。
色んな人から、いっぱい自信をつけてもらいました。

49歳のときは、自分のパワーに自信満々だったので、
早く50歳になって、そのパワーを発揮したいと思っていた。

そして50代になってみると、
いかに自分の自信が根拠のないもので、お馬鹿さんだったのか、
思い知らされることが多々ありました。

お恥ずかしい。

早く60歳になって、仕切り直したいなあと思うのですが、
その前に、やれることはやっておかねば。

とりあえず、50肩を治しておきたい。
経験者の話を聞くと、1~2年はかかるという人がほとんどなので。

今は同業の仲間たちの意見を聞きながら、漢方薬を飲んで、我が身で実験中。
なかなか良い感じです。

50肩になったおかげで、
自分の人生を反省できたような気がします。

さて、もういっちょ、頑張りますか。  

Posted by キリンさん at 11:36Comments(2)王様の耳はロバの耳