2013年04月25日
エレベーターの中で

ずっと前の話。
鳥取の大きな病院に、友達を見舞った時のことです。
あれは夏。季節は関係ないけど。
私は病院の玄関から入り、
エレベーターに乗り、友達がいる階のボタンを押しました。
その時、エレベーターの奥の方に、
ちんまりとしたお婆さんが、
固まった感じで乗っているのです。
1階で降りなかったのかな?とぼんやり考えたのですが、
余計なお世話かと思い黙っていました。
私が降りる階にとまり、扉が開こうとしたまさにその瞬間、
おばあさんは意を決したかのように、
「あの、私は5階で降りたいんですが、
いつになったら5階に止まるんでしょうか?」
20年前ですから、
エレベーターのボタンを押すことを知らない人も、
まだいたのですよ。
ところで皆様、エレベーターに乗ったとき、
自分の階のボタンをどうやって押しますか?
誰もいなければ、簡単。
だけど誰かいた場合、気を遣うこともあります。
ボタンの前に誰かが立っていたら、
「すみませんが、5階をお願いします。」
と頼みます。
だって、自分がボタンの前に立っている時に、
目の前に、にゅっと手が出て無言でボタンを押されると、
非常に不愉快だからです。
だからボタンの前に自分が立ってるときに
誰かが入ってきたら、
「何階ですか?」
と聞くことにしているのですよ。
「5階お願いします。」
「わかりました。」
逆に、聞かれることもあります。
短い会話だけど、
そうするとお互い気分がいいと思いません?
人にボタン押させるなんて申し訳ない、
そう思う人もいるかもしれないけど、
私は聞いてほしいですね。
なんでこんなこと言うのかといえば、
今朝エレベーターにのったとき、
若い女の子がボタンの前に立っていたので、
「3階お願いします。」
と頼んだら、
こっちを向きもせず、無言で、
3のボタンをバンっと叩きつけるように押されたから。
あきらかに気分を害した様子でした。
ずっと常識と思ってたことが、
実は私の勘違いなのか?う~ん。
どう思いますか?
2013年04月24日
発つ鳥が後に残すもの

「発つ鳥後を濁さず」
という言葉があるように、
そこを出て行くときには、
後の人達に迷惑をかけないよう気を配り、
綺麗にしておくことが気配りの基本であります。
ただ、後の人のために、
何かをあえて残すという時代もあったのです。
私が下宿生活をおくっている頃は、
下宿を出て行くときに、
不要なベッドやテレビ、冷蔵庫を置いていくことがありました。
もちろん古道具屋さんに売ったり、
後輩に譲ることも当然のこと。
私はベッドを同級生にあげて、
大きな姿見とテレビ(先輩からもらった)を後輩に譲り、
タンスを古道具屋さんに、
ダンボール3個分の本を古本屋さんに売りました。
だけど、こんな人もいるのです。
「この部屋にこのカーテン、気に入ってたんだよね。
出来たらこのまま使って欲しいなあ。」
そんな時には大家さんに話して、
このままにしておきたいという旨を伝えるのです。
昔は物がないというよりも、
学生は質素に倹約するのが当然だったので、
何かが残っているのは、とてもラッキーなこと。
余計なモノ置いていかれて、邪魔なんだよねー。
なんて思う人はほとんどいなかったのです。
私の友達に漫画家だった人がいるのですが、
彼女が当時発表した漫画のオープニングに、
私の大好きなシーンがあります。
それは学生下宿に、
男子学生が入るところから始まるのですが、
その部屋に、一本のカセットテープが残されていたのでした。
(カセットってとこが時代を感じるでしょ。)
それをかけてみると、
優しい女性の声で、部屋についてのことを、
いろいろ説明していくのですよ。
「窓の開け閉めは、乱暴にしないでね。」
外れます。」
「本棚を置いていくけれど、動かさないでね。」
天井を支えているので。」
それから近くのパン屋さんが美味しいのよ、とか、
八百屋さんはオマケしてくれます、とか。
「それから、ここの窓からの景色が私は大好きでした。
あなたも好きになってくれたら嬉しいな。」
その声を聞きながら、
主人公の男の子は、その声の主に恋をする、というお話。
このエピソードが本当に好きでした。
今だとどうかな。
家具なんかも新品でなければ嫌と思う人が圧倒的だろうな。
知らない人が使ってたのって、気持ち悪いとか。
自分の好みで統一したいとか(私に言わせれば贅沢)。
景気が持ち直しそう、なんてニュースで聞きながら、
モノのない優しい時代に思い馳せる、
今日のキリンさんなのでありました。
2013年04月23日
一生懸命生きているのだけど。

もしかしたら、
私のことを粗忽モノだと思ってませんか?
神経が図太く、
世間に対して不真面目な人間だとか。
それは間違いだと、
ちゃんと言っておきたい。
たとえば、
こないだ新幹線で、車掌さんから「切符拝見」と言われたとき、
切符を出さずに居酒屋の名刺を出したこと、
ブログにも書きましたよね。
「なんてアホなんだろう。
私、そんなミスしたこと今までに一度もないわ。」
と思った方、多いでしょうね。
「車掌さんが来ることぐらいわかってるんだから、
ちゃんと準備しておけばいいだけのこと。
なんでキリンさんは用意が出来ないんだろう。」
とも。
しかし私は、それは違うと声を大にして言いたい。
新幹線に乗ると、いつもドキドキします。
それは車掌さんが切符を確認に来ることがわかっているからです。
だから、
必ず私は切符を出しやすいところに入れるのですよ。
そもそも最初の新幹線に乗る前、
改札を抜けたら、
切符は必ず財布に入れます。
ポッケに入れると、
歩いているうちに落としそうで怖いからです。
バッグの外ポッケにも、
同じ理由で任せられません。
売店で雑誌やお茶を買ったら、
いちいち切符が入っていることを確認します。
そこに切符の姿が見えると、
安心するのです。
新幹線に乗って、座席に着くと、
まずお財布を出して切符を出し、
点検までどこに入れるかを考えます。
バッグの外ポッケか、
コートや上着のポッケかを決めます。
そして忘れないように、
車掌さんが来るまで何度もシミュレーションをします。
「乗車券を拝見いたします。」
と言われる前から握っているのは、
いかにも田舎者っぽくてイヤなのですが、
出そうとしてモタモタするのも
かっこ悪くていやなので、
声をかけられたら
流れるような動作でスマートに切符を出すのだと心に決め、
何度も頭の中で、
そのタイミングを想像してみるのです。
こないだも、
窓際にかけたコートのポッケに切符を入れ、
出しやすいように、
そのポッケがこっち側に向いてるように、
ちゃんと準備しておいたのです。
それなのに、
切符を出したつもりが、
同じポッケに入っていた鹿児島の居酒屋の名刺を握っていたとは。
「なんでポッケを空にして、
そこに切符を入れなかったのか?」
おかしいと思うでしょうが、
一つのことに集中すると(ここでは切符をすぐに出すこと)
別の注意が出来ないのです。
(ここではポッケに余計なものが入ってないかどうか確かめること)
若い頃は、
その度に落ち込んだものですが、
いや、今もちょっとショックは受けるのですが、
しょうがないと考えることにしました。
それより、
もしかしたら私と同じように、
頑張ってるのだけどどこか抜けてしまい、
がっかりしてる人がいたら、
アナタだけじゃないのよ、と言ってあげたい気持ちです。
誰でも一生懸命生きていて、
それでも完全な人は一人もおらず、
何か失敗しては
こんなバカなのって、私だけなんじゃあ?
と不安になるものです。
そんな人が私の記事を読み、
こんなこと繰り返してる人もいるのだと、
ちょっとでも思って安心して頂ければいいのかなと。
そんなこと思う、
今日この頃のキリンさんでありました。
2013年04月19日
ふるさと銘菓

鶴屋と名のつく和菓子屋は、
全国あまたにあるけれど、
こんなに鶴が可愛いのは、やはり呉の鶴屋安芸。
鶴屋吉信、京都鶴屋、鶴屋八幡など、
どこの鶴も鶴らしくスマートなんですよ。
でも、呉の鶴は少々豊満で、
いかにもアンコたっぷりを約束してくれてる感じ。
そこがいいでしょう。
福岡に住む友達が、
ある人から呉の銘菓を頂いたと話してくれました。
それを聞いて真っ先に頭に浮かんだのが、
この鶴屋安芸の利休饅頭です。
こげ茶色の模様のない普通の饅頭だけど、
皮がしっとり厚くて、ふちのあたりが柔らかいのです。
子供の頃から大好きでした。
アンコはコシアン。
たっぷり入っていて一個で十分満足できますが、
子供の頃はもっと食べたいがために、
二個目は皮だけ食べてアンコを残し、
とっても怒られたのを思い出します。
私はこれをずっと鶴饅頭だと覚えていて、
正式名称の利休饅頭という名を知ったのは、去年のことでした。
ブログに書いたかな。
一店舗だけのお店で、
工場はなく、奥の方で作っているんですよ。
昔からそれは変わらないの。
デパートや駅にも出さず、こだわって作ってるんです。
だから味も、鶴のデザインも、
ずっと変わらないまま。
私にとっての一番のふるさと銘菓なのでありました。
話は変わります。
夕べは某オジサンに食事をご馳走になりました。
和食のお店で、
まず御刺身の盛り合わせを頼み、
色んなお料理を美味しく頂きました。
最後のデザートをたのんで、
いやあ、美味しかったなあとお料理を思い返したとき、
あれ?御刺身、食べたっけ???
そうです。
いちばん最初に頼んだ刺身が来てなかったのだ・・・・。
あわててお店の人に、
最初に御刺身が来てないけど、
もうお腹一杯だからキャンセルして下さい、と言いました。
そこで普通ならあわてて詫びを入れると思うのだけど、
「あ。はあ。わかりました。」
ってな返事だったの。
そのあと、普通にお会計して帰ったのだけど、
ホントに御刺身の料金は引いてあるのでしょうか。
ご馳走してもらったので、
私のフトコロが痛むわけではないのですが、
とても気になる今日この頃なのでありました。
2013年04月18日
おら、東京さ行っただ。

せっかく東京に行ったのに、画像があまりありません。くすん。
この画像も、本当は「江ノ島」駅であることを表現したかったのに、
駅のプレートではなく、
こんなもん撮っちゃったよ。
なんとなく、今日もズレてるキリンさんです。
東京は良かった。色んなところに行って、色んなことして、
色んなもの食べました。
土曜日、日曜日の午前中は仕事だったので、
省きます。(仕事がメインじゃないのか??)
日曜日のお昼、友達夫婦と目黒で待ち合わせ。
天ぷら蕎麦を食べる。
麺類を食べたあとは、
「寄生虫博物館」へGO!!!(やっぱ、先に食べとかないとね)
まず驚いたのは、
入館料が無料!!!!タダなんですよ!!!
それと陰嚢水腫の写真にたまげた。
江戸、明治の漢方書によく出て来るのだけど、
膝下までふくれあがるほど(ふくれさがる?)BIG!!!
これ以上感想を述べてたら終わらないので、次に進みます。
駅でパンケーキを食べたあと、
銀座にある漢方のペンギン薬局さんを見学。
いきなり行ったのに優しくされて嬉しい。
それから藤沢で中華料理を堪能。
その後、江ノ島にある友達の家で宿泊。
猫と遊ぶ。
翌日は、友達と御茶ノ水へ。
そこであと二人の友達と合流した後、
明治大学へGO!!!
ここの博物館で、拷問道具を見るためです。
「商品」「刑事」「歴史」という部門に分かれている
明大博物館では、
日本の伝統工芸品、遺跡から発掘された土器などと、
昔の刑罰に関する展示があるのです。
メインはノコギリ引きと石抱きの模型。
と、アイアンメイデン!!!
と、ギロチン!!!
いや~~、見ごたえあったわ。
それからお昼ごはん。

明大の学食で、300円のカレーライスを食べました。
味は、普通!!!!
そのあと、
やはり明大にある「漫画博物館」に行きました。
実はここが私にとっては一番行きたかった場所。
私が小学校のときに読んだ記憶のある
「なかよし」
「週刊マーガレット」など、懐かしい雑誌がどっさり。
梅図かずおの「ロマンスの薬あげます」がありました。
その後は
昨日の画像の「山の上ホテル」に行き、
ケーキセットを食べ、
羽田空港へいき、
サンドイッチセットを食べ、飛行機に乗って、旅はおしまい。
もっと詳しく書きたいけど、
盛りだくさんすぎて書けませんの。
だけど、精神的にかなりリフレッシュできました。
さて、お仕事もがんばりますか。
2013年04月16日
有閑マダムの華麗なる昼下がり

山の上ホテルで、
優雅にお茶するキリンさんです。
東京へは仕事で行ったのですが、
今回は自分のための時間もちょっとね。
そんなことはいいから、
ネタは?と期待満々の方々にとっては残念なことに、
失敗のない旅をして参った私でございますのよ、ほほほのほ。
あると言えば、ただ一度だけでした。
それは新橋の駅でのこと。
友達と一緒に電車に乗らなければならなかったのだけど、
彼らはスイカというカードを持ってるんです。
一人販売機の前で途方にくれる私。
いや、切符の買い方はわかるんだけど、
いくらか値段がわかりません。
ナナメ横後の友達を振り返りながら、
「なんぼ?」
と聞きました。
と、そこには見たこともない若い男の子が、
驚いたような困ったような顏をして立っていたのでありました。
ああ、人違い。
きっと彼はいまごろ、
新橋駅でヘンなオバサンに買われそうになったと、
友達に話しているのでしょうなあ。
ごめんね、若者よ。
若者と言えば、
電車の向かいの席に、とても綺麗な男の子が座っていました。
芸能界で言えば、
水島ヒロくんの目をきりっとさせて、
口元をすっきりさせたようなイケメンくん。
いや~、さすが東京だなあと見とれる私。
次の駅で、彼は立ち上がりました。
ああ、降りてしまうのね。
と、思いながら見た彼の姿は、
腰パン・・・・。
私は腰パンが嫌いなので、ちょっとがっかりです。
が、よく見ると、あれ?
それは腰パンではなく、
短足だったのでありました・・・・。
さて、そんなことより東京旅行記だよ。
それはまた明日。では。
2013年04月12日
本屋の子供

昨日のことです。
うちに来られた女性の方と四方山話をしてた時、
「実家が書店だったんです。」
と言われました。
本屋さんの娘!!!!!!!!!!
それは私が子供のころ、憧れに憧れた職業・・ではなく生まれ育ち。
お姫さまよりもなりたかった、本屋の子供。
本が大好きでしたから。
近所に本屋などなかったので、
自力で行けるようになったのは中学生になってから。
本屋さんに行くと、
とにかく本がいっぱいある。
あたりまえだけど。
そこで背表紙を見て歩くのが常でした。
自由に立ち読みできた時代でしたが、
私はなかなか立ち読みをすることが出来ませんでした。
何故かというと、
読み始めるとやめられないからね。
だから、買おうかなという気がめばえて、
お財布にお金があることを確認した後でなければ、
立ち読み出来ないのでした。
背表紙のタイトルだけでも十分に楽しめるものです。
「悪徳の栄え」
「少女地獄」
「されど我等が日々」
「桜の森の満開の下」
「ナインストーリーズ」
「そして誰もいなくなった」
「青春の蹉跌」
「フーテン老人日記」
「倫敦塔」
私が読んでいた本のジャンルがあまりにもバラバラなのは、
タイトルで選んでいたせいでしょうな。
もしも本屋の子供だったら、
この本達が全て読み放題なのだろうなあと、
羨ましくてしかたがなかった頃。
今も本屋さんは好きだけど、
あまりにも本が多すぎて圧倒されてしまいます。
小さな本屋さんは、
それぞれ店主の好みによって選ばれている感があり、
面白いものでした。
大学生のころ、
京都に「三月書房」さんという書店があって、
ときどき行ってたのですが、
これが個性的なお店なのですよ。
以前にも書いたことがありますが、
今でも続いているそうなので、
頑張ってほしいです。
さて、今夜は漢方勉強会。
明日からは仕事で東京に行きます。
今回は少し時間に余裕があるので、
寄生虫博物館と
漫画博物館に行くのです。楽しみ。
では、良い週末をお過ごしくださいね。
2013年04月10日
たいしたことではありません。

今日まで引っ張った「血豆ネタ」ですが、
期待した人ごめんなさい。
たいしたことじゃないのよ。
でも約束だから。
金曜日の夜、私は広島にいました。
昨日は金曜日に宮崎空港と書いたけど、木曜日の間違い。
謹んで訂正します。
金曜日は広島の仲良しの薬屋さん達と食事をしました。
さぞ難しい話をしただろうって?
しますかいな。
オンとオフは使い分けるのだ。
おかげでとても楽しい夜でした。
お開きとなったら、私は広島駅まで行き、
呉線に乗らねばなりません。
駅に着いたときは、
次の電車までゆっくり時間があったので、
おトイレにでも行こうと改札の前を通りかかったとき、
なにげなく見た呉線の電光掲示板には
「赤ヘル、ナイトライナー」
という文字が。
そうです。
広島球場は駅のすぐ横にあり、
ナイターがある夜は、
試合終了に合わせた臨時便が出るのでした。
見ると、出発7分前!!チャンス!!!
だけど、そう思うと、
にわかに尿意が増加・・・。
トイレに行く余裕があるのか???
しかもホームは7番。
一番むこうにあるのです。
いや、走れば間に合う。
さあ脱兎の如く、と気合いを入れて走りましたね。
幸いトイレには誰もいなかったので、
バタバタと走りこみ、バタバタと出ようとした、
その時です。
ドアをバンっ!!と閉めるとともに、
「あいたっ!!!!!」
激しい痛みが。
指をはさんだのでした。
しかしそこで動作を止めては列車に遅れます。
走りに走って、
列車に乗り込むのと発車のプルルルルが鳴るのと、
ほぼ同時でした。
よかった~~~。
まだまだ私の足も捨てたもんじゃないね、なんて思ってたとき、
なんだか手がヌルヌルするのです。
ふと見ると、
右手が血まみれに・・・・・。
しかもそこに握っている切符も血まみれ。
ひええええええええい!!!!
あわててハンカチで押さえて止血しながら、
痛みより不安が先に立つ私。
この血まみれの切符は、
果たして自動改札を抜けられるであろうかと。
以前にも何度かひっかっかって恥ずかしい思いをした、
そのことが蘇ります。
広駅に着き、
改札の前に来たとき、
そっと切符を入れました。
開いた!!!
開きましたよ、みなさま。
ああよかった。
という、それだけの話です。
ドアにはさんだ指は、血豆になりましたとさ。
で、おしまいです。
あとは、
血まみれの切符を通したことで、
その自動改札機が錆びないことを祈るばかりなのでした。
今回はJRさんには迷惑かけました。
新幹線に乗り込んだとき、
車掌さんが切符の点検にこられました。
そのとき、私が出した切符を見たときの車掌さんは、
あろうことか、ぷっと吹き出すのですよ。
切符の何が悪い??
よく見ると、
「松井食堂」と書いてある・・・。
鹿児島の居酒屋さんの名刺を出していたのでした。
さて、夕べは楽しい時間を過ごした私。
今日も楽しくお仕事します。では。
2013年04月09日
飛行機が遅れたばかりに

金曜日の夕方、私は宮崎空港に着きました。
福岡に行って、勉強会に参加し、
翌日から実家に帰るというスケジュール。
改札でチェックを終えて、
搭乗待合室でくつろぐ私の耳にアナウンスが。
どうやら私が乗る予定の飛行機が遅れてて、まだ到着しないため、
出発が大幅に遅れるというのでした。
「なんですとーー!!」
勉強会に行く前にホテルでチェックインする時間も見越して、
ゆっくり時間をとっていたのだけど、
計画がくるうことに。
その遅れだと、
ホテルにチェックインどころか、
直接勉強会に走っても絶対に遅刻なのでした。
とりあえずホテルに電話しなくては。
だって、勉強会は8時から10時までで、
その後すぐに懇親会があり、12時まで身体が空かないのですから。
あわてて携帯電話を取り出そうと・・・
「あれ?」
バッグを探しても、ない!!携帯がない!!
忘れたのか???いや、さっき電源を切ってカゴに入れて、
係員に渡したはず・・・。
で、返してもらったっけ??
そこか!!!
あわてて走る私。
改札のところには女性の係員さんが、
忙しそうに作業をしておられました。
そこに無理やり割り込むように、
「すみません!!携帯ここに忘れました!!」
「こちらで間違いございませんか?」
「はい。さっきとり忘れたんです!!」
飛行機が遅れるのは、決して彼女のせいではないのだけど、
なんとなく気色ばんでしまう私。
「少々お待ち下さい。」
と、なにやら向こうで調べている模様。
「あの、大変申し訳ないのですが、
念のため御荷物を確かめさせて頂けますでしょうか。」
「いいですよ!!」
探せるもんなら探してみろって感じ。
係員さんは、私のバッグをベルトコンベアーみたいなヤツの上にのせ、
通していました。
ここを通すと赤外線だかなんだかで、
入ってるものがわかるんですよね、たしか。
そして、
「あの~、バッグの中に、携帯らしきものが映っているのですが・・。」
私は心の中で「じぇじぇじぇ!!??」
(朝のNHKドラマを観てる人ならわかる)
係員さんは、あくまでも丁寧に、
「大変恐れ入りますが、
よろしかったら私が中を確かめさせて頂いてよろしいでしょうか?」
「も、もちろんです!!よろしくお願いします!!」
と、うってかわって低姿勢になる私。
「あっ、ありました!!」
「あった!!よかった~~~。有り難うございました!!」
赤っ恥かいちゃったよ。ううう・・。
ごめんね、係員のお姉さん。
という具合にキリンさん旅行記はまだ続くのでありました。
明日は血豆の話。
でもたいしたことないから期待しないでね。
2013年04月08日
花の下にて春死なむ

無事に実家での法事を終えて
宮崎に帰って来たキリンさんです。
むこうは桜が満開で、
ちょっと散り始めた頃。
花びらが風に舞っている光景を
あちこちで目にすることが出来ました。
さて、父の一周忌は本当に身内だけの簡素なもので、
自宅にご住職をお招きして行われたのです。
と聞くと、とても、ええもんのように聞こえますね。
総勢が15人、血縁者だけの式というのは、
なんと申しますか、ざっくばらんです。
昔の家ですから、
床の間のある客間と、
その隣りの仏間をつなげると、
まあまあ広くはあるのですが、
ご住職と、その真後ろの母、弟、私は密接した距離にあり、
そのまた後の弟の嫁、母のイトコ達、伯母、私のイトコも
くっつき合って座ってるわけです。
事件の発端は、
まだお経の最中のこと。
嫁が後から私のお尻をつつくのです。
声を潜めて、
「おねえさん、おねえさん。」
「なに?」
「御布施はいつ渡すんですかね?」
御布施は弟が用意してくれて、嫁が持ってくれていたのです。
「いつ・・・?????」
知らんがなーーーー。
そうだ、イトコのところは去年が一周忌だったから、
イトコに聞いてもらえばいい。
私も声を殺して、
「ミチコちゃん(イトコ)に聞いて。」
「えっ、だ、誰???」
そうだった。嫁とミチコちゃんはあまり交流がないのでした。
体をねじって後を向いた私は一段と声を殺して
「ミチコちゃん、御布施はいつ渡すんかね?」
「えっ??それはお母さんよね。(私の母のこと)」
どうやら「いつ」を「誰が」と聞き間違えてるらしい。
その時、お経が終わって、
ご住職がこちらに向き直られたのですが、
嫁は何か勘違いしたらしく、
後から
「これ!!」
とナナメ前の母に御布施を渡そうとしました。
ところが母は今までのやりとりなんて
まるで耳に入ってなかったみたいに
知らん顔をしているのです。
またまた身をよじったわたしが
それを手に取り、
伯母、母のイトコ達に小さな声で、
「今渡すん?」
と聞くと、
全員が目をむいて
「まだ!まだ!まだっ!!」
と、声を殺してるつもりだけど鋭い口調で私を制したのでした。
その気合いにひるんだ私の手元はゆるみ、
つい落としたフクサから
ノシブクロがはらりと、ご住職の目の前に。
「あっ、も、申し訳ありません!!不手際で・・!!」
と、ささっと回収しお尻の裏に隠す私。
「いえ・・。」
と、きっと今までのやりとりが全部聞こえていたであろうご住職は、
困ったような顏をして眼鏡を直されたのですが、
実は、彼は、現役の大学生なのでありました。
うちが檀家であるそのお寺は、
おなじみだったご住職が高齢になられたあとは、
娘さんがあとを継ぎ、
その息子さん二人が後継者となるべく修行中で、
今回は二男さんが来て下さったのでした。
その二男さんが話されたのは、
「実は半年前に祖父が亡くなりまして・・・」
ああ、そうか。あのお坊様は亡くなったのね。
と、子供の頃に知っていた、優しそうな顏が脳裏に浮かびます。
「私は、祖父の背中を追っているようなものです。
もっとも、その前には母の背中も兄の背中もあり、
追い越すのは無理なのでしょうが、
ずっと追い続けていこうと決心しているのです。」
と、所信表明みたいな話でしたが、
初々しさと誠実な話しぶりは、
みんなの心にしみわたり、しみじみした心持ちになったのでした。
お話が終り、深々と頭を下げられたとき、
私の後から
「今よっ!!」
「今!今!」
「今ッ!!!!」
と、鋭い声がかかり、
急いで御布施を母に渡し、
母は何事もなかったかのようにご住職に御布施を渡したのでした。
学生さんでも住職なのかな。
よくわからんけど、
お経もお話も良かったので、いいか。
というわけで、無事に一周忌は終了したのですが、
伯母たちが父の写真をみながら、
「桜が散る頃に逝っちゃったんじゃね。」
「ほうじゃね、桜の散る頃に。」
と静かにつぶやき合っていたのが
私の心に残ったのでした。
今回の帰省は、
他にも色んなことをして、とても楽しい時間を過ごし、
今はちょっと幸せな気分です。
指に血豆作ったりもしたけど、
その話はまた別の機会に。
では、今週も元気だしていきましょうね。
2013年04月04日
親のスネをかじるのは罪か?

早いもので、父が亡くなって1年になろうとしています。
離れて暮らしてから30年近かったわけですから、
父の死は、信じられないと言うよりも実感が湧かないという感じ。
お父さんのこと、好きだったの?嫌いだったの?と聞かれても、
そんなこと考えたことなかったので、
アタリマエなんだけど、
私にとっては唯一無二の父だったと思うだけです。
私が実家に帰ったときは、
特別嬉しそな顏をするでもなく、
かといって嫌がるわけでもなかったのですが、
私が滞在を終えて帰ると言うと、
父は必ず、
「帰るんか。小遣いちょうだい。」
と、ねだるのを忘れないのです。
それに対する私の答も決まっていて、
「ええ~~、お金なんかないもん。お父ちゃんこそ、ウチにくれんさいや。」
すると嬉しそうに笑って言うのです。
「なに言ようんな。その年になっても親にせびるんか。
しょうがないのう。お父ちゃんはオマエのせいでいつまでも貧乏じゃ。」
そしてズボンのポケットから財布を出し、
「なんぼいるんな?」
と聞くので、
「10万。」
と言うと、
また嬉しそうに笑って、
「そがにあるかいや。
お父ちゃんを破産させる気ね。」
と言いながら、
一万円札を一枚、くれるのでありました。
このやりとりが、
いつから始まったのか覚えてないくらい昔からの、
私と父の儀式なのです。
父が少し弱って、この儀式がなくなって、
ほぼ一年で父は逝きました。
最後に一度くらいは私の方が
「お父ちゃん、小遣いあげようか。」
と言ってみたかったかなあ。
でも、なくて良かったかなあとも思うのです。
だって、一万円をくれる時の父は、
いつもいつも、本当に嬉しそうな顏だったのですから。
今日は夕方の飛行機に乗って、宮崎を発ち、
日曜日の夜に戻る予定です。
ネタは・・・プレッシャーかけないでね。
ではみなさま、良い週末をお過ごしくださいませ。
2013年04月03日
新品のお洋服

画像の子供は
小学校に入ったばかりの私です。
え?可愛すぎるって?
いいの。誰も知らないんだから。
入学式のために、
おばちゃんがカーデガンを編んでくれました。
当時は機械編みが流行っていて、
おばちゃんはその機械を持っていたのです。
古く大きな日本家屋の広い部屋に
その機械は置いてあり、
そこでおばちゃんが
しゃーこしゃーこと機械を動かし編むところを
毎日のように見に行った私です。
それはサーモンピンクのに
少しだけ濃いピンクのラメが織り込んである毛糸。
実は、これはもともとおばちゃんのセーターでした。
それをほどいて編みなおしてくれたのです。
昨日、pia masaさんの記事で、
田舎では同じ洋服を着る率が高いというのを読んで思い出したのだけど、
昔は洋服を買うってことがあまりなかったので、
田舎だけど洋服がかぶる率は少なかったのですよ。
たとえば、
小学校の時のブルマですが、
私のは母のスカートを縫い直したものでしたし、
友達のはお兄ちゃんのズボンを改造したものでした。
入学式のお洋服だって、
私みたいに編みなおしのカーデガンや、
お兄ちゃん、お姉ちゃんのおさがりとか、
仕立て直したものも多く、
新品のお洋服を着てる人は少なかったかもしれません。
そういえば、
私は学年で一番チビな女子でしたが、
一番チビな男子のシモハラくんは新品のダブルのジャケットに
蝶ネクタイをしていました。
だけど、ご両親の出来るだけ長く着せようというもくろみのために、
シモハラくんの洋服はブカブカで、
腹話術の人形のように見えたのでありました。
しかし、その後シモハラ君がその洋服を着てるのを見た記憶がないのは、
もしかしたら借り着だったのかもね。
そういうことも普通にありましたから。
私が小学校6年生のとき、
学芸会の劇で「杜子春(とししゅん)」をやり、
私は主人公の杜子春を演じたのですが、
古い短くなったズボンをはいて
母の肌襦袢にヒモを巻き、
頭には
母が黒いタイツを、おだんご頭のカツラに改造したものを被り、
昔の中国の男の子に扮したのでした。
思えばリサイクルな時代でしたね。
うちの母に限らず、
どこのお母さんも忙しい中を子供のために
色んな工夫をするのがアタリマエだったのです。
今はどうなんだろ。
得たものと失ったものと、
どっちが大きいのかわかりません。
2013年04月02日
一年に一度だけだというのに

今日は4月2日ですね!!!!!!!!!
ってことは、昨日は4月1日だったのですね!!!!!!!!
ってことは、エイプリルフールだったのですね~~~~~~。
私ともあろうものが、忘れてました・・・。残念。
いっこもウソをつけませんでした。
今日ではダメでしょうか。
どうして昨日のウソは喜ばれるのに、
今日だとウソつきになっちゃうんでしょうか。
ああ、理不尽。
去年もおととしも、
4月1日のブログでは楽しいウソを披露したはずなのに。
そう思って、過去記事を見ようと思ったのですが、
これがどうやって見ればいいんだかわからん。
ウソといえば、
私が小学校の低学年だったと思うのですが、
二人の叔母が
「つかさちゃんの両親が事故で死んだ」
という、悪趣味極まりないウソをついたことがありました。
もちろん4月1日のことです。
さすがに子供でも信じるわけありません。
しれっとしてる私に、
「可愛そうだからグランドピアノを買ってあげる。」
「ハワイに連れて行ってあげる。」
と言い出した叔母達でしたが、
あまりに無反応なため怒り出し、
「なんで信じんのんね。」
「アンタは子供らしさや可愛げがない。」
と八つ当たりされ、
私は大人の理不尽さにため息をついたのでありました。
だけど、
たしかにウソが成功すると、嬉しいよね。
こないだ友達が飛行機に乗ったとき、
アメを多目にもらいたいがため、
「咽を使うお仕事なので、もっとアメをもらっていいかしら?」
と言ったところ、
「咽を?もしかして、歌手の方ですか?」
と聞かれ、
「ええ、そうよ。」
「どんなジャンルなんですか?」
「ジャズ。」
と大嘘ついたそうな。
普通の薬屋で、
カラオケで歌うのは「リンダリンダ」なんだけどね。
皆様は昨日、どんなウソをついたのかな?
私も来年はがんばります!!