2012年08月31日
安芸の宮島

安芸の宮島まわれば七里
浦は七浦七えびす
という歌を教えられて育った
広島県人の私です。
今、みやchanブロガーさんで
時々私のブログにコメントをくださる
pia masaさんが、
広島に行っておられます。
画像のオジサンと彼との類似点については、
今回は無関係ということにしておきましょう。
さて、宮島の歴史などは調べればわかることなので、
興味のある人は勝手に調べて頂きたい。
(実はあまり知らないんだろうって?
そういう本当のことは、言っちゃいけないんだよ。)
私が宮島に行くたびに、
とても気になっていたことが一つあります。
宮島の回廊に入るとき、
アタリマエですが、拝観料を払わなければなりません。
係りの人がいて、
お金を払って切符を買います。
それはとても普通です。
だけど、だけど、
出口には、誰もいないのですよ。
扉も何も、すっぽんぽんに外と繋がっているのです。
係りの人がいるべき場所もなく、
監視カメラのなかった・・・と思います。見てないけど。
初めて子供だけで行ったとき、
それにビビりました。
「ここ、出口よね。」
「うん・・。」
「誰もおらんよね。」
「出てもええんか?」
「たぶん・・。」
「出たら、入って来れんよね。」
「入れんじゃろ。」
「でも、誰も見てないよね・・。」
「ほうじゃね。」
「お金払わんでも、こっちから入ったらえかったね。」
「ほしたら、タダでなんぼでも見れたね。」
「今度来たときは、こっちから入ろうか。」
「そうしょうか。」
なんてこと言いながら、
次に来たときも、
やはり入り口でお金を払い、
誰もいない出口から出て行くのでした。
それは私が大学に入り、大人になってからも、
同じこと。
出口には誰もいないままでした。
今はさすがに違うかもね。
もう何年も行ってないからわからないけど。
私は決して真面目な人間ではないのですよ。(知ってるか)
京都の植物園なんかは、
いつもタダで入れる秘密の裏口からしか入らず、
表でお金払ったことありませんでしたから。
でも、
やっぱり宮島は違います。
なにしろ島全体が神様の居場所なわけで、
悪いことは出来ません。
いくら鹿に襲われて、
パンフレットやバッグをかじられても、
(意外と鹿は凶暴)
報復は出来ないし、またする気も起きないのです。
4人乗りの小さなロープウェイに
彼氏と二人で乗っても、
あまり、あんなことやこんなことは
出来ないのです。(あたりまえじゃ)
思い出すと懐かしい。
今度帰ったら、行ってみようかな。
2012年08月30日
夏の名残り

明日で八月も終りですね。
いつまでも梅雨が終わらないような感じで、
過ぎ行く夏という実感が湧きませんが。
先日ちょっとだけ里帰りをしたこと、
記事に書きましたね。
そこで思い残したことが
いくつかあります。
まず、壷屋のアイス最中を食べ損ねたこと・・・。
あああああああああ、思い出すだに口惜しい!!!!
最大の目的だったのに!!!
(いや、初盆だから。目的は。)
次に、会いたい友達に会えなかったこと。
短い期間でしたから、
どうしても無理でした。残念。また今度ね。
それから、
冷蔵庫のお掃除が出来なかったこと。
年寄りの家の冷蔵庫は、なんちゅうか、カオス状態。
生半可な覚悟では手がつけれれんのだ。
ふう。
それからそれから、
一番やり残したことは、画像のカード。
今回実家に帰るのに、飛行機に乗りました。
宮崎空港で、携帯電話の電源を切ろうとしたとき気付いたの。
充電が・・・・。
一本線で、しかも赤くなっているではありませんか。
どうする!!!?????
これから実家に帰って、親戚にも立ち寄るだろうから、
イトコに連絡することもあるだろう。
翌日は博多にいって夕方から集まりがあるのだけど、
私が幹事だから、
色んな人から問い合わせの連絡がくるだろう。
その翌日は勉強会があるのだけど、
当日初参加の人もいたりして、
私に問い合わせの連絡が入るかもしれない。
それより何より、
お店から急な連絡が入ったらどうする?????
それから私は博多で寄り道もせず、
広島駅でフラフラすることもなく、
まっすぐに実家のある駅を目指してまっしぐら。
駅のすぐそばに
ソフトバンクのお店があることを知っていたから。
電車が駅に着くのももどかしく、
ソフトバンクのお店へGO!!
「すみません!!充電お願いしていいですか?」
お店の可愛いお姉さんは、
優しくほほえみながら、とっても感じよく
「いいですよ。」
と言ってくれました。
その時に渡されたのが、
このソフトバンクの
「充電預かりお引き換え券」だったのです。
少し時間がかかるということだったので、
その間に実家に帰って来たいと言ったら、
この券を渡されました。
「必ず、お持ちくださいね。」
そう言われ、財布に入れておけば忘れるわけないじゃん、と思って
財布の中に入れました。
それから家に帰り、
しばらくして母と車に乗って再び訪れた私。
さっきのお姉さんが
「券をお返しいただけますか?」
「はい、ここに!!」
と、威勢よく出すつもりが、
「あれ?」
バッグが違ーーーーーーーーーう!!!!!!!
そうだった!!
バッグがデカイので、母の手提げを借りて来たのです。
中にはハンカチとティッシュと、それに、
運転免許証だけ。
なんでわざわざ免許証だけ。
お財布は、家に忘れてしまったのでした。
消え入るような声で、
「すみません・・・券、忘れました・・・。」
お姉さんはちょっと困ったような顏をしたけれど、
再び微笑みながら
「またこちらに来られること、ありますか?」
「はい!!ありますとも!!明日は隣りの駅から電車に乗るんですから!!」
「では、その時にお持ちいただけますか?」
「はい!!もちろんですとも!!」
「必ずお持ちくださいね。」
「はい!!大丈夫です!!」
そう太鼓判を押した私。
ああ、なのに、その券が何故か今ここにあるのです。
ごめんね、ごめんね、ソフトバンクさん。
約束破ってごめんね。
今年も苦い思い出とともに
夏が過ぎようとしているのでした。
2012年08月27日
時代遅れ

昔は流行が好きでした。
いや、好きじゃなかった。
流行してるものを、
知ってるけど興味ないわ、というスタンスに優越感を感じるタイプ。
たとえば大学生の頃のこと。
友達が
「あのバッグ、ええと思わへん?」
と言うと、
「ああ、レノマね。なんか網が嫌い。漁師じゃあるまいし。(そいうデザインだった)」
「今ものすご流行ってるダウンあるやろ。」
「ああ、リバティーベルね。動きにくそうでイヤ。」
なんて鼻持ちならんヤツだったのだ。
顏から火が出そうです。
今は、ちょっと違います。
そもそも流行を知りません。
24時間テレビがあったことも知りませんでした。
いつあるんだろうと思ってたら、
もう済んでいたとは。
死語といわれる言葉もよく使います。
(死語がもはや死語か?)
アベック、トックリ、チョッキなんて言って笑われても平気です。
そう思うと、
年をとると楽チンだな。
若いのに知らないと
とっても恥ずかしい気持ちになるけど、
今だったら、
だってキリンさんの年だもんね、ってことで済むのだから。
さて、今週も元気だしていきましょうか。
2012年08月24日
もう会えないかもしれない

「もう会えないかもしれないけど、元気でね。」
そう言って別れた人、いますか?
昨日の夜、数人でご飯を食べたのですが、
その中の一人がそういう人でした。
3年前だったか、
大きな病気にかかってしまったのです。
なんとか辛い治療を終え、お仕事にも復帰されました。
その後宮崎に来られることがあり、
夕べと同じように数人で食事をしたのだけれど、
別れ際にこれを言われました。
「もう会えないかもしれない。」
じきに再発して死んでしまうかも、
そう思ってたみたい。
ところがどっこい、
あれからもう4度目かな?宮崎にいらしたの。
海外旅行にも、何度も行かれてるし、
9月にはイタリアに行くのだそうです。
「余命が短いんだから、今のうち。」
なんて言ってるけど、百歳まで行きそうな勢いです。
なんと申しましょうか、
嬉しいような可笑しいような、そんな気分です。
そんな人もいれば、
「また今度ね。」
そう言って別れたのが最後という人もいます。
それは
同級生だったり、従姉妹だったり、
そして四月に亡くなった父だったり。
お互いに「今度」はきっと来ると確信していたのに、
その「今度」はもう二度とありません。
ことわざで、
来年の話をすると鬼が笑う、というのがあります。
人間には、未来を見ることは出来ないのです。
だから、それがなんなの?
いやいや、その先はそれぞれが考えること。
私もまた自分で考えて生きたいと思ったのでした。
2012年08月22日
わしらはみんな広島じゃけん

実家に帰る前、
高校の同級生のムカイ君から電話がありました。
やはり同じクラスだったミシマ君が亡くなったので
お墓参りに行って来たという報告と、
ナカムラちゃんが階段から落ちて命を落としたという話で、
決して明るい話ではありませんでした。
が、暗い気分で電話を終わらせないのが
広島県人の良い(?)ところ。
「帰ったら、広島ルールゆう本を買いんさい。」
「何?それ。何が書いてあるん?」
「よう知らんけど(読んどらんのかい!!)、買うた方がええよ。」
という、意味不明な勧めに従って買ったのが、
画像の本でありました。
本屋さんではコーナーが設けられており、
平積みされていたので、売れてんのね。
さすが県人愛の強い広島だ。
内容は、
知っていることもあれば知らなかったこともあり、
故郷離れて久しい私には楽しい本でした。
で、ちょっと自慢なのですが、
書いていい?(ダメと言われても書くけど。)
広島にはアンデルセンという超有名なパン屋さんがあります。
実は、冷凍パン製法を日本で初めて開発したのが、
このアンデルセンであります。
それだけではなくて、
その製法は惜しみなく公開されたので、
日本全国のパン屋さんで使われるようになったのだとか。
また、広島は酒どころでもあります。
でも広島の水は軟水だったので、
日本酒を醸造するには適さなかったんですって。
そこを改良して
軟水でも美味しい日本酒が出来るように
改良醸造法を編み出したのが、広島の三浦仙三郎という人。
この人も、杜氏をあちこちに派遣してこの技術を伝えたので、
日本全国、軟水の土地でも日本酒が造られるようになったのでした。
いいなあ、広島県。
てなわけで、
一段と郷土愛に燃えるキリンさんなのでありました。
さて、
故郷自慢はこのくらいにして、
明日からはまた別のお話でもいたしますか。
2012年08月21日
思いを果せない辛さ

あれ?前のブログと同じ画像じゃん。
キリンさん、里帰りしてボケたんと違う?
そう思われたアナタ、違いますよ。
実家に戻ると絶対に食べておきたいのが、
このアイス最中であることは、
何度も言いましたね。
もちろん今回も行きましたよ。
「壷屋」さんへ。
そこで可愛い店員さんに
声を弾ませながら
「アイス最中ください!!」
と言う時の嬉しさ。
「はい、アイス最中ですね。何個ですか?」
という言葉を待ちながら、
今すぐ一個は食べるし、夕食の後に一個、
明日の分も一個いるか。
そうそう、おかあちゃんも一個は食べるわね(ヒドイ)。
と、ウキウキ考えながら、
ふと気付くと、
店員さんの顏が雲っているのです。
・・・・?・・・?ま、ま、まさか・・・?????
「申し訳ないのですが、今日は売り切れてしまいまして・・・。」
なんですとーーーーーーー!!!!!??????
「私、宮崎から今日帰ってきて、すぐ買いにきたんですけど!」
「申し訳ありません。」
「明日はもう博多に行くので、来られないんですよ!」
「本当に申し訳ありません。」
「夜になったら届きますか?」
「いえ、今日はもうちょっと無理かと・・。」
「明日の朝は?」
ほぼクレーマーのような私。
結局わたしの思いは果せず、
帰りに別のお店に寄りました。

それは、壷屋さんよりも有名でアイスの種類も多い
「巴屋」さん。
バニラと抹茶を買いました。
中身が見えるように皮をちょっと外した画像がこれ。
美味しいんです。
美味しいんですよ・・・でも・・・。
皮が違う!!コクが違う!!
味が違う!!模様も違~う~~~~。(さて、何の歌でしょう)
てなわけで、
画像からも熱意が感じられませんで、
巴屋さん、ごめんなさい。
その後、母が言いました。
「お好み(お好み焼のこと)、食べに行こうか。」
ガックリきている食いしん坊の娘を慰める術を知っている母。
ありがたい。
そして、連れて行かれた先が、
「お母ちゃん、ここ、徳川じゃん・・。」
「ほうよ。美味しいよ、ここの。」
徳川とは、広島生まれなら誰もが知っている
お好み焼チェーン店。
CMソングも歌える私なのですが。
大阪風なんですよ・・・ここ・・・・。
せっかくの母の気持ちに背くわけにもいかず、
故郷の広島で大阪風お好み焼を食べたキリンさんなのでありました。
ああ、消化不良。
何のために実家に帰ったんだか。(いや、初盆だから)
やはり里帰りするなら
一泊二日はいかんですね。
次回はもうちょっとゆっくりするぞと
心に固く誓いましたとさ。
2012年08月16日
明日から

画像は呉市にあるお菓子屋さん、
「壺屋」のアイス最中であります。
明日から実家に帰るにあたり、
コレだけは絶対に食べる気マンマンなのであります。
このお店は、もともと最中のお店なので、
皮が美味いんですよ。
ぎっちり詰まった、アッサリ味でなめらかな舌ざわりのバニラアイスと、
時間がたっても何故かパリッとしたままの皮が美味しいったらありゃしない。
お好み焼きとともに、
ソウルフードでありましょうかね。
今日は忙しいのとパソコンが疲れているようなので、
これで終わりです。
しばらく留守をする間に、
パソコンも元気になってほしいわ。
メカだけど、8年近くの付き合いなので
それなりに可愛いヤツなのです。
月曜日の朝一で戻る予定。では。
2012年08月13日
相手の話はちゃんと聞きなさい

お盆ですね。
今日の出来事は、お盆とは何の関係もないんですがね。
ただの懺悔と申しましょうか。
年配の、おそらく80歳は過ぎているであろうご婦人が、
当店に来られました。
「紙オムツ、ください。」
そうなのね。
もう尿パットでは、間に合わないのですね。
「かしこまりました。サイズは、何サイズでしょうか?」
「Sサイズ。」
「申し訳ありませんが、当店ではSサイズの紙オムツは取り扱ってないんですよ~。」
「あら、でもこないだ買ったわよ。」
こう言う人、多いんです。
他の店で買ってても、ここで買ったと言い張る人。
勘違いしてるんだろうなあと思いながら、
「紙オムツはこちらでございますが、
Mサイズからしか置いてないんですよ。」
そう言いながら、売り場へ誘導。
すると、そのお客様は、
「あら、あるじゃないの!これよ、これ。」
「えっ!!???
あ・・・べ、ベビー用でしたか!!!!」
ごめんなさい!!ごめんなさい!!ごめんなさい!!
大人用の紙オムツだと決めてかかった私を許してください!!
しかも、慌てた時の悪いくせで、
言わんでもいいことを口走ってしまう私。
「いや、てっきり、ご主人のかと思いまして。」
「あら、主人だったらSなんか入らないわよ。あははは。」
「よ、よほどやつれておられるのかと・・。」
わー!!わー!!わー!!恥ずかしいよう!!!
言えば言うほど募穴を掘って掘って掘りまくってしまいました。
「あのね~、うちのワンちゃんに使うのよ。
介護はしてるけど、ワンちゃんなのよ。」
ううう。フトコロの深いお方で良かった・・・。
未熟な私をお許しください。
気持ちを入れ替えて、頑張ります!!!
2012年08月12日
肝試しもお化け屋敷も
怖いと思ったことがありません。
あ、目が覚めたので、こんな時間です。
以前にも書いたことがあるので重複するのですが、
こんな時間だから、
そんなことは知ったこっちゃありません。
実家は低い山のフモトにある一軒家で、
古い日本家屋です。
床の間のある座敷の横の縁側を回った奥に、
お便所があります。
時々、電気がつかなくなることがありました。
電球が切れただけなんで、
替えれば済むことなのですが、
近くに電気屋さんなんてないので、
何日もそのままの日が続くこともままありました。
このお便所ですが、
今でこそ洋式なのだけど、
ずいぶん長い間、和式でありまして、
便器の向きは、しゃがんでちょっと見上げたところに窓があり、
外が見えるという具合だったのです。
そして窓の外には、
低い石垣と、うちのお墓が見えておりました。
電気のつかない夜のお便所に入ると、
それが満月だったりすると、
それはそれはお墓が美しく光って、
見とれるほどでありましたよ。
しかし、それは住んでる立場での感想。
折悪しく電気がつかない夜に泊まりに来た友達は、
夜中に私を起し、
どうしても怖くてお便所に行けないから
庭でしてもいい?と聞くので、
いいよと答えたのですが、
夜になると、よく庭にイノシシが出るということは
黙っておいてあげました。
お化け屋敷というと、
高校2年生のときの文化祭で
3年生のあるクラスがやっていて、
怖いと評判だったので、
友達のマユリと一緒に行きました。
マユリは学年でも一番かと言われるほど
可愛い女の子だったので、
お化けたち(3年の男子)はマユリばっかり脅かし、
腹が立ったわたしは
怖がるフリをして、お化けたちを蹴ったり殴ったりして、
顰蹙をかいました。
大学のサークルの合宿でも
肝試しをやりました。
男女ペアで歩かされるのだけど、
私はどうでもいい男子と組むことになりました。
ちっとも怖くないのだけど、
恐がらなかったと言いふらされても困るので、
怖いフリをしていたら、
何度も
「大丈夫?手エつないだろか?」
と言うので、
そのたびに
「大丈夫。」
とキッパリ断っていたら、
「オマエ、ほんまは怖ないんやろ。」
とばれてしまいました。
お化けが恐いと思ったこと、ないなあ。
痴漢の方がよほど怖い。
大学生のとき、
下宿に帰る途中の夜道で、
後ろから来た自転車に乗っていた人が、
追い越しざまに胸を鷲掴みにし、
そのまますごいスピードで逃げて行ったけど、
あの時は怖かった。
思えば痴漢にはいっぱい合いました。
私の友達も、いっぱい合ってました。
でもそれは、また別のお話。
今日はこのへんで、もうちょっと寝ます。おやすみなさい。
あ、目が覚めたので、こんな時間です。
以前にも書いたことがあるので重複するのですが、
こんな時間だから、
そんなことは知ったこっちゃありません。
実家は低い山のフモトにある一軒家で、
古い日本家屋です。
床の間のある座敷の横の縁側を回った奥に、
お便所があります。
時々、電気がつかなくなることがありました。
電球が切れただけなんで、
替えれば済むことなのですが、
近くに電気屋さんなんてないので、
何日もそのままの日が続くこともままありました。
このお便所ですが、
今でこそ洋式なのだけど、
ずいぶん長い間、和式でありまして、
便器の向きは、しゃがんでちょっと見上げたところに窓があり、
外が見えるという具合だったのです。
そして窓の外には、
低い石垣と、うちのお墓が見えておりました。
電気のつかない夜のお便所に入ると、
それが満月だったりすると、
それはそれはお墓が美しく光って、
見とれるほどでありましたよ。
しかし、それは住んでる立場での感想。
折悪しく電気がつかない夜に泊まりに来た友達は、
夜中に私を起し、
どうしても怖くてお便所に行けないから
庭でしてもいい?と聞くので、
いいよと答えたのですが、
夜になると、よく庭にイノシシが出るということは
黙っておいてあげました。
お化け屋敷というと、
高校2年生のときの文化祭で
3年生のあるクラスがやっていて、
怖いと評判だったので、
友達のマユリと一緒に行きました。
マユリは学年でも一番かと言われるほど
可愛い女の子だったので、
お化けたち(3年の男子)はマユリばっかり脅かし、
腹が立ったわたしは
怖がるフリをして、お化けたちを蹴ったり殴ったりして、
顰蹙をかいました。
大学のサークルの合宿でも
肝試しをやりました。
男女ペアで歩かされるのだけど、
私はどうでもいい男子と組むことになりました。
ちっとも怖くないのだけど、
恐がらなかったと言いふらされても困るので、
怖いフリをしていたら、
何度も
「大丈夫?手エつないだろか?」
と言うので、
そのたびに
「大丈夫。」
とキッパリ断っていたら、
「オマエ、ほんまは怖ないんやろ。」
とばれてしまいました。
お化けが恐いと思ったこと、ないなあ。
痴漢の方がよほど怖い。
大学生のとき、
下宿に帰る途中の夜道で、
後ろから来た自転車に乗っていた人が、
追い越しざまに胸を鷲掴みにし、
そのまますごいスピードで逃げて行ったけど、
あの時は怖かった。
思えば痴漢にはいっぱい合いました。
私の友達も、いっぱい合ってました。
でもそれは、また別のお話。
今日はこのへんで、もうちょっと寝ます。おやすみなさい。
2012年08月07日
さよなら子供たち

大好きな映画のタイトルです。
夕べ、NHKのBSで放映されました。
1944年の、フランスが舞台です。
主人公は寄宿学校にいる12歳の男の子なのですが、
これがまた、この年齢だけに許される魅力というか、
ぎりぎり子供という瀬戸際の繊細さが、
素晴らしいのです。
映画は、
この男の子の寄宿学校での生活が、
抑えたトーンで淡々と綴られていきます。
実はフランスはナチスドイツに占領されている時代で、
この映画は反戦映画なのですが、
戦闘があるでもなく、空襲があって防空壕に入るシーンでも、
その中では普通に授業が行われ、
あまりにも普通に時が過ぎていきます。
もしかしたら、
展開の地味さを退屈と感じる人がいるかもしれません。
ですが、静かなだけに、
主人公や友達などの心の機微というものが、
切々と伝わってくるのです。
主人公は裕福で優秀な、恵まれた子供です。
ある日、突然入ってきた、自分より優秀な気になる同級生が、
ユダヤ人であることが、少しずつわかってくるのだけど、
それも小さなエピソードを重ねてのことで、
激しく問い詰めるようなシーンはありません。
日常の出来事だけで、
色んなことが沁みるように伝わってきます。
ドラマをみていて、
自分と似たような環境の人物に、
感情移入するのは、たやすいことです。
だけど、
こんなに国も時代背景も性別も違う、
何一つ重なることのない主人公に気持ちが重なるとは、
やはり優れた作品だからに他なりません。
とにかく、男の子がいい!!!
みんなに見てほしい!!
それから、ちょっと驚いたのが、
この作品が発表されたのは1987年だということです。
もっと古いと錯覚していました。
日本では、マルサの女とか、私をスキーに連れてってとか、
いわゆるバブルの時代なのですよ。
監督のルイ・マルは、
実体験をベースにしたそうですが、
バブルの頃に、この静かだけど反戦を強く訴え掛ける作品を発表したのも
意味があったような気がします。
とにかく観てほしい。
私もまた繰り返し観たい作品の一つです。
Posted by キリンさん at
16:41
│Comments(5)
2012年08月06日
8月6日にサイレンが鳴る

今日は広島で原爆記念式典があり、
毎年のことですがテレビで放映されました。
8時15分には平和の鐘の音とともに
黙祷がささげられました。
私も目と閉じて平和を祈る一人なのですが、
毎年、鐘の音とともにサイレンが聞こえます。
これは宮崎市で鳴らされるサイレンで、
私は日本全国で同じようにサイレンを鳴らすものだと思っていました。
でも違うのね。
鳴らないところもあるのね。
私は戦争も原爆も実体験のない世代です。
だから、その知識は全てが伝聞。
正直な話、子供の頃は大人の話がちょっと迷惑でした。
だって、もう平和になっちゃったんだから、
戦争なんて起こりっこないし、原爆が落ちるなんて二度とあるはずないから、
繰り返し言わなくてもわかってるから、
そう思ってました。
だけど、人間というのは
繰り返し言われてもなおワカラン生き物なのです。
大人になると、つくづくそう思います。
宮崎に住む人の中には、
8月6日にサイレンが鳴っても、
意味がわからない人も大勢いるでしょう。
だけど何かの拍子に
「あのサイレン何?」
と誰かにたずね、その誰かが
「今日は広島に原爆が落とされた日だから、
その時間に合わせて鳴らしてんのよ。」
そう答えてくれたら、
ちょっとでも知ってる人の輪が広がるであろうと考えます。
その人がそのことを忘れてしまっていても、
何年か後にサイレンを聞いて、そういえば、と思い出してくれれば。
その時に、また別の誰かが
「あのサイレン、何?」
と訊ねてくれば、きっと答えることが出来、
そうやって人の口にのぼることで、
風化せずに済むと思うのです。
毎年、目を閉じて、
平和の鐘の音とサイレンを聞きながら、
いつまでも平和が続くようにと祈るキリンさんなのでした。
2012年08月01日
有責配偶者の離婚請求について

なんじゃ?今日のタイトルは。
そう思われた方もいらっしゃるでしょうが、
キリンさんは実は法学部出身。
卒業論文のテーマがこれでした。
こうしてみると難しそうですが、
平たく言うと、
自分が悪いくせに、離婚してくれと要求するってどうよ、
そういう話です。
一番わかりやすい例えが、
「愛人が出来たので離婚して下さい。」
という話。
自分で原因を作っておいて、そんなこと許せるかい!!!
普通そう考えますよね。
現に判例でも、
「夫に浮気された上に離婚させられたのでは、
妻は踏んだり蹴ったりだ。」
と裁判官が言って離婚を認めなかった
「踏んだり蹴ったり裁判」という有名な裁判もありました。
だけど中には、夫婦がもう冷め切っていて、
その仲が修復不可能なのであれば、
離婚した方がお互いのためなのでは?
という考えもあって、
そっち寄りの判例もちょっとずつ増えてます。
原因を作った方が、
十分な謝罪をし、慰謝料も出し、
離婚後の生活に支障がないのであれば、
意地にならずに離婚して新しい人生に踏み出した方が、
相手にとっても結果的に幸せなのでは?
「絶対に別れてやらない!!」
と繰り返し、夜中に藁人形を打つような生活、
いいかげんでやめようよ。
完全に破綻したものは、認めてしまおう。
それを「破綻主義」と言います。
大学時代の若い私は、
もちろん破綻主義の立場で論文を書きました。
今でも、基本的には破綻主義に変わりはありません。
一度きりの人生なのに、
ドロドロしてる時間は惜しいだろう、そう思います。
でもね、
年齢を重ねると、若い頃のように竹を割ったような破綻主義とは、
正直言えなくなってくるんですよ。
その頃は修復は不可能だろうと思っていた夫婦が、
長い年月の間の愛憎を乗り越え、
年取ったときには静かな気持ちで生活を共にしているケースも、
ないわけではないから。
色々あった人二人にしか見えない景色が、
その人たちには見えているようで。
ただ、そこまで行くには苦しすぎるようにも思え、
早いうちに仕切り直しする方がオススメと考えるのですが。
これは論文ではなく、
台風を前にしての戯言なので、結論はありませんよ。
ケースバイケースかな。(と、逃げてみる。)
あ、決して私が離婚の危機に瀕してるわけではありませんので、
間違えないように。
え?私が気づいてないだけ?
まさか。まさか。・・・・・まさか・・・・・。