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Posted by みやchan運営事務局 at

2009年06月02日

昔は誰もが子供だった




昨日とちょっと続きます。

絵?わたしよ、わたし。入学式の時の格好がこれ。
似てるかどうか、どうせ誰も知らないので、このさい不問ってことで。

国語の授業で「紙芝居」が宿題になりました。

家の近い人でグループになって
誰かの家で作るのです。けっこう、高度なことやってましたね。

松尾くん、吉田くん、吉岡さん、そして私がグループになり、
吉田くんの家に集まったのですが、

松尾、吉田ペアはトンズラです。

しかたないので、吉岡さんと二人で仕上げました。

吉田くんのお母さんは、とても恐縮して、
お饅頭や、カルピスを出してくれ、それはうれしかったのですが、

自称セイギカンの私はハラワタ煮えくり返り、
「絶対に、先生にいいつけてやる!!!!!!」と誓ったのでした。

そして、国語の授業のときに言いましたね。
「先生!!松尾くんと吉田くんは、サボりました!!」

そこで立ち上がった松尾くんは
「オマエラが帰ったあとで、残りを描いたで~。」

「うそ!!全部しあげて帰ったもん!!!!」

「最後の二枚、忘れとったで~。」

この松尾くんというオトコ、
頭も運動神経もバツグンなのですが、いわゆる横着モノ。
答弁ものらりくらりなのです。

「全部、同じ絵じゃないの!!!」

「オマエの絵に似せるんに、苦労したんよ。」

「どこを苦労したんか、言うてみんさい!!!」

松尾くんも、ちょっとずつ、答弁があやしくなってきました。

「全部よ。」

「ウソじゃけん、言えんのじゃない!!!!」

「ここよ。」

苦し紛れに指さしたところは、
私の会心の作で、
吉田くんのお母さんがほめてくれたところでした。

勝ち誇ったわたしは

「うそつき!!そこは私が描いて、吉田くんのおばさんが
 うまいねえ、と褒めてくれたとこよ!!!!」

そこで松尾くんは
「あの時、おばさんは、まんじゅうがうまい、言うたんで。」

なんと支離滅裂!!!怒り心頭!!ところがそこで先生は

いきなりブハッ!!!と吹き出して、あははははと大笑いしながら

「二人とも、か、か、かわいい~~~~~わはははははは」
涙まで流すしまつ。

それにつられて、クラスのみんなも大笑い。その件は、終わりを告げたのでした。

私?そりゃ腹は立ったけど、しょうがないじゃない、
みんなが大笑いしてるのに、一人だけ怒り続けるわけにもいかなくて、
一緒に笑いましたがな。

ふてぶてしそうにしてた松尾くんが
先生に笑われた瞬間、ものすごく恥ずかしそうな顏をしたのを見逃さなかったからね。

今になって振り返ると
白黒つけるだけが解決じゃないこともあるのだと思います。

それが、私の先生のクラスでした。(1年い組よ)

今の私の目で、その時の小さい二人を思い浮かべると、
ほほえまないわけにはいかないのです。  

Posted by キリンさん at 10:52Comments(19)王様の耳はロバの耳

2009年06月01日

懺悔です




幸せうさぎさんのマンゴー及びマンゴーぷりん、
とても美味でしたね。

大勢のブロガーの皆さまが、
キリン堂に来て下さいました。

それぞれが、物々交換の品を持って・・・・・
(持って来なかった方、気にしないで下さい。
 私もたいして、もてなしをしたわけでもないので。)

本当だったら、うさぎさんがもらうべきモノですが、
すべて着服したことを告白します。

沙夜さん
バナナケーキ、美味しかったよ。朝ごはんにちょうど良かった。あれくらいの甘さが好き。

彩楽さん
言われたように、梅ジュース(酒?)サイダーで割りました。美味しかったよ。娘も喜んだ。

まきんちゃん
喜界島の草もち、漢方薬のニオイがするね。でも、すっごく美味しかったよ。体によさそう。

裕さん
枇杷のシフォンケーキ、ふわふわでした。金柑の方がって言ってたけど、枇杷も美味しかった。

motyママさん
レモンジャム、ありがとうございます。生キャラメルは一個食べましたが、美味しいねえ。とろけます。

カッ達?さん
焼きたてのパン、ありがとう。明日の朝、レモンジャムをつけて食べますね。楽しみ。

・・・・そろそろ、禊の断食をしたいと思います。
誰もこんな私に付き合ってくれないでしょうから、一人でこっそりやります。

うさぎちゃん、あなたのおかげで、
文字通り、とても美味しい思いをしたキリンさんでした。
キリンではなく、ブタかトドになりそうですが・・・・。  

Posted by キリンさん at 18:51Comments(13)王様の耳はロバの耳

2009年06月01日

ぼくの好きな先生




小学校の時、私は、「一年い組」でした。
(クラス分け、いろはだったんだよ。文句ある?)

その時の担任の先生のお話をします。

私のクラスには、聾唖の男の子が一人いました。
ほとんど何も聞こえなかったようで、言葉もしゃべれません。
片目が青く、もう一方の目は茶色で、すきとおるように白い肌でした。

でも、最初からいたので、特に変だと思ったことはありませんでした。

その頃の田舎の小学校ですから
手話など誰も知ろうはずもなく、口唇術が出来るわけでもないので、

私たちは手のひらに字を書いて会話をしていました。

おにごっこも、かくれんぼもしました。
ハンデのある遊びをするときには、
自然に誰かが組になっていました。

いたずら好きなヤツで、
女子のスカートをめくったり、しました。

そんな時には、みんな普通におこりました。

授業も普通に、すべて一緒にうけました。
教科書を読むときには、
となりに座った子が、
教科書を指でなぞって、
読んでる場所を教えました。

先生は、その子のことを
「みんなで気を使ってあげましょう。」
とは一度も言われませんでした。
悪いことをしたら、
みんなと同じように怒りました。
だから、みんな彼がいるのは
普通のことなのだと思っていたのです。

でも、あとで色々知りました。

入学する時に、
自分がかならず責任を持つからと
校長先生に話されたことを。
そして校長先生と二人で
教育委員会にかけあわれたことを。

先生の授業は
黒板に書かれることがとても多かった。
身振り手振りも、多かった。

それが面白くてとても好きだったのだけど、
それは彼のためでもあったのでしょう。

彼の隣に座る子は
しっかりした学級委員の時もあったけど、
いわゆるガキ大将の時も多かった。

その時は、誰もが一生懸命授業を聞きました。

彼はそのまま普通の学校を続け
大学院を出て
研究者になっています。

先生は、そのあとも障害者教育について
骨を折られ、活躍されていたのですが、

クリスマスの頃、タクシーに乗って、
そのまま亡くなりました。

心不全でした。過労だったそうです。

いまでも、その先生が大好きです。
20人ちょっとのクラスだったけど、
5人が教師になっています。

そこぬけに明るい、愛にあふれた先生でした。  

Posted by キリンさん at 11:10Comments(11)王様の耳はロバの耳