2009年08月06日
8月6日は登校日

私が小学生だった頃の話。
8月6日は登校日でした。
持って来るものは、夏休みの友。
宿題をやっとるか、中間チェック?違います。
夏休みの友の、8月6日のページには、
原爆ドームの写真と、その日が何の日であるのか、説明がのってました。
大人になるまで、全国共通の登校日だと思ってたら、
そうじゃなかったのね。広島県だけなのね。
大学進学のために京都に出て、初めてそのことを知りました。
そして、広島県以外の人たちが、
原爆について何も知らないってことも。
初対面の人からは、必ず聞かれました。
「ご両親は、原爆に合わはったん?」
中には
「あんたも、原爆見た?」
だから、戦後生まれだし・・・・・・。
うちは呉市なので、原爆の被害は受けていません。
でも、みんな見えたといいます。
母はその時、畑にいたそうですが、
突然西の空がピカッと激しく光り、
しばらくしてから
大きなド~~~~ン!!という音がして、
ゆっくり、モクモクと、例のきのこ雲が上がってきたそうです。
私が子どもの頃は、時々ひどいケロイドの人を見かけました。
でも、いつの間にか見なくなりました。
おそらく、みんな亡くなったのだろうと思います。
原爆の恐ろしさは、その場の被害である、
熱線と衝撃波だけでなく(それも怖いけど)
放射線、放射性物質による被害です。
いつ出てくるのか、子孫のどこまで影響があるのかわかりません。
昨日まで元気だった人が、
突然ひどい下利が止まらず、身体中の穴から出血して死んでしまう。
恐ろしいことです。
私の友人が白血病と診断されたとき、真っ先に聞かれたのが、
「ご両親は被爆者ですか?」
という質問だったといいます。
1945年8月6日午前8時15分
その一瞬の、たった一発の爆弾が、
今なお恐ろしい影響を残し続けています。
もし、広島、長崎を訪れることがあったら、
是非、平和公園に足を運び、資料館に入ってみて下さいね。
そして、被爆者の声を聞いてほしい。
原爆の悲惨さ、悲しさが、よくわかります。
それでもごく一部なのですが、少しでも知ってほしいと思うから。
余談ですが、
今朝の記念式典をテレビで見ていたら、
挨拶の文章が全部テロップで流れました。
わかりやすくて良かった。
でも、内閣総理大臣は、一箇所読み間違えた。
たいした間違いではないのだけど、
テロップの方が間違いかもしれないけど、
ちょっとガッカリ。
写真の鶴は、〇〇十年ぶりに折りました。
高校生の時に、千羽鶴が燃やされたことがあります。
その時に学校をあげて鶴を折ったのだけど、
私のはあまりにも不細工なので
採用されませんでした。
今日の鶴を見て、まあしょうがないかと思いました。