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Posted by みやchan運営事務局 at

2011年07月22日

子供のじかん




今朝のテレビで節電の話題が出ていました。

夏休みになり、
子供を家に一人で置いておくための冷房電力を節約するため、
両親が経営する事務所に連れて行くというもの。

事務所のソファーに座る子供に
「どう?」
と感想を求めると
「ヒマ~。」

そりゃそうだよね。

だけど、
昔の子供はみんなヒマだった。
テレビでの子供番組なんて、そんなになかったし、
DVDもないし、ゲームもない。
トランプすらない家も珍しくなかった。

そんな中で子供というのは、
何かしら見つけて遊ぶものでありました。

複数いれば、もちろん色んな興奮する遊びが出来たけど、
一人でも遊んだものでした。

山に入って木に登ったり、ヤブに分け入ったり、
秘密の場所を見つけては、
今度、仲良しにだけ教えてあげようとワクワクしたり。

家の中でも、
布団で基地を作ったり、
タンスの中や押入れの中に入ってみたり、
シャボン玉を作ったり、
(全てが叱られる結果となるのだが)
絵を描いたり本を読んだり。
(これは叱られないが、本も紙もあまりなかった)

うちは両親がよく出かける家だったので、
夜は子供だけということがよくありました。
そして、弟は寝てばかりいるヤツだったので、
一人の時間がとても長かったけど、
さほど退屈することはありませんでした。

なぜか?
それはいつも、歌っていたから。
しかも歌詞の中に浸りきって
妄想にふけりながら歌っていたからです。

月の明るい夜のこと、
4歳くらいだった私は、
毛布を引っ張り出して縁側に行きます。

縁側の隅で全身すっぽりと毛布にくるまって、
お月さんを見上げながら、
歌うは「十五夜お月さん」

これがなんとも悲しいメロディーに悲しい歌詞。

十五夜お月さん ごきげんさん
ばあやは おいとまとりました

十五夜お月さん 妹は
遠くへもらわれていきました

十五夜お月さん かかさんに
もいちど私は会いたいな

ばあやもいない、
妹もいなくなり、
母とも引き離された私。
(もともとばあやも妹もいないし、母は留守なだけだが、
 そこは想像でなりきるの。)

これを歌いながら、ひとりぼっちに浸っていると、
お月さんが自分を哀れんでくれているかのように思え、

「ああ、なんて可愛そうな私。」
と、涙ぐまずにはいられないのでした。

誰かが見ていたら、
なんじゃこの子は、と滑稽に見えたでありましょうが、
今にして思えば
孤独を癒す最良の方法だったかもしれないのです。

4歳の子供が広い一軒家に一人ぼっちで取り残されている。
月夜とはいえ、夜のことです。
心細いに違いありません。

でも、泣き叫んだところでどうにもならない。
大きな声で楽しい歌を歌ってごまかしても、
歌が終わればもっと悲しくなります。

それよりも、
空想の世界で可愛そうな子供になってしまうというのは、
なかなか面白い方法だったのでは?

子供をあなどってはいけません。
困った時には、
子供なりになんとか工夫して乗り切ろうとするもので、
それは大人になるためのステップなのです。

そのためにも、
子供には子供の時間が必要なのではなかろうか、
そう強く思うキリンさんなのですよ。

今でも
その夜の月が悲しいほど明るかったことや、
黄色い毛布と、
毛布の縁のツルツルした布の冷たい感触が
すぐに思い出せるのです。  

Posted by キリンさん at 12:14Comments(7)王様の耳はロバの耳