2014年07月31日
もの知りがいない時代

誰が何と言っても、白馬に乗った王子様ですから。
北極のムーシカミーシカ、というお話がありまして、
そこに登場する主人公のお父さんを
「もの知りのムー」と言いました。
登場回数は少ないのだけど、
とても頼もしい、絶対的な存在感のあるパパ熊でした。
「もの知り」という言葉には、
そういう頼れるイメージがあり、尊敬されるべき存在だったのです。
私が高校生の頃、友達とおしゃべりしていました。
「ディズニーの眠りの森の美女の王子、名前なんじゃった?」
「え~、フランツじゃなかった?」
「フランツ?それはシンデレラじゃあ?」
「ほうじゃった?ほしたらフィリップ?」
「それそれ、フィリップ王子!!フランツはシンデレラ。」
「ほうじゃった。シンデレラはフランツ・チャーミング!!」
「そうそう、フランツ・チャーミング!!」
それまで黙って聞いていた友達のお姉さんがそこで、
「アンタら、違うじゃろ。
フランツ・チャーミングは手塚治虫のリボンの騎士よ。
シンデレラは、プリンス・チャーミング。」
「そうか!!!!」
「やっぱり姉ちゃんじゃねえ。」
「さすが、お姉さん。」
「おかげでスッキリした~~。」
そしてお姉さんに対する尊敬は、いやがおうでも高まるのでありました。
今はそういうこと、減ってるよね。
だって、わからなければ誰かに聞くより検索した方が早いんだもの。
もの知りがいないんじゃなくて、
もの知りが不要な時代なのでしょうか。
だけど、簡単に得た知識って、簡単に忘れそうな気がします。
アイツに聞けばわかる、そういうことが減って淋しいなと思う、
昭和生まれのキリンさんでありました。