2016年08月30日
おばちゃんの戦争体験
母のイトコは90歳。
今は施設に入っているので、時々お見舞いにいきます。
そこの玄関にいるのが、この無礼なヤギ。
ま、どうでもいいけど。
こないだ行ったとき、
ちょうど終戦の日を迎えたばかりでもあったので、
聞いてみました。
戦争の記憶を。
「おばちゃん、海軍工廠(かいぐんこうしょう)に行きょうたんじゃろ?」
海軍工廠とは、海軍の軍需工場です。
呉の海軍工廠では、戦艦大和が作られました。
おばちゃんが行ってたのは、広海軍工廠で、
主に飛行機の工場だったみたい。
「ほうよ。友達らとみんなで行きょうたんよ。
18か19の時じゃったわ。」
ここは終戦が近づいたころ、
大空襲を受けたと聞いています。
「爆弾がどんどん落ちるし、みんなで泣きながら防空壕へ走ったんよ。
逃げようたら、飛行機から鉄砲で撃ってくるんじゃけん、必死じゃったわ。」
「飛行機は、えっと(たくさん)おったん?」
「えっとおったし、ものすごい低空飛行で来るけん怖かったよ。」
「そがに低いん?」
「そりゃあ、相手の顔が見えるんじゃけん。
ぱっと目が合うような時もあるんよ。怖いゆうもんじゃない。」
「うわあ。そんな近くから撃たれたんね。当たらんで、えかったね(よかったね)。」
「うん、当たらんでえかった。」
そう言いながら、おばちゃんはふっと微笑んで言いました。
「それが、あんがい当たらんもんでね。
あがに(あんなに)バリバリ撃ってきても、あんまり当たったもん、おらんかったんよ。」
へえ~、当たらないものなのか。
そう思いかけたのですが、いや、当たったという話も聞くよねと、思い直し、
そして考えました。
おばちゃんを撃った人は、その時どんなだったんだろう。
逃げ惑う若い女の子たち。
走りながらこちらを見上げた顔と目があった。
・・・・撃てるのかなあ。
戦争のさなかにあっては、普通の心ではいられないといいます。
実際に、恐ろしい話もいっぱい聞きます。
だけど、恐ろしい心になりきれない人もいたのでは?
銃口を、人のいない所に向けるのが精いっぱいな人も。
そんな人は、帰ってからどう思うんだろう。
当てなくて良かったとほっとするのか、
任務を全うできなかったと後悔するのか・・・。
「じゃけど、あの怖い思いは今でも忘れん。」
おばちゃんは、そう締めくくったのです。
だからどう、ってことではないけど、
そういう話を聞きました、というお話でした。