2012年09月12日
人の心なんて

たとえば、
大好きな友達が遊びに来るというので、
ゴハンを振舞おうとした場合。
彼女はお寿司が好きだから、
得意のエビでんぶを載せたちらし寿司を作ろう、
そう考える。
浮き浮きと寿司桶を棚から降ろそうと、
踏み台に上がって手を伸ばしたら、
ちょっとあせってしまったせいで
台から落ちて、
お尻を打ったりする。
「もう~、馬鹿なんだから。」
とお尻を撫でながらも、
自分が浮き足立った感じも、
そのせいで打ったお尻の痛みも、
どれだけ友達を好きなんだ、私、なんて思うと
かえって嬉しい気分にもなる。
ところが、
全く違うケース。
たとえば、
気の張る親戚なんかが来るというので、
なるべくボロを出さないように、
お寿司を作ろうと考えて、
棚の上の寿司桶を取ろうとした場合。
なんとなく気が乗らないので、
いやだなあと思いながら手を伸ばした瞬間、
ぐらっと落ちて、お尻を打ってしまった。
「痛~~~。」
落ちた自分も腹立たしいが、
それよりも、
来なくてもいい親戚が来るなんて言うから、
こんな目に会ってしまったんだわ、
と恨みがましい気分になる。
お尻の痛みも、
なんだかいつまでも響いて、
すべてがいまいましく、自分がとても不運だと悲しくてたまらない。
だいたいあの親戚は、
前からずうずうしいのだ、とか、
食事くらい済ませて来ればいいのに、とか、
どんどん腹立たしさに拍車がかかってくる。
お尻もさっきより痛く感じて、
骨にヒビでも入ってないかしらと不安に感じたりする。
大好きな友達を迎える場合も、
面倒な親戚を迎える場合も、
行動としては全く同じ。
棚の寿司桶を取ろうとして、
落ちてお尻を打つ。
何一つ違いはない。
にもかかわらず、
前者は失敗でありながらも楽しいエピソードとなり、
後者はイヤな思い出となるのです。
人間の心って、
勝手なものですね。