2013年02月28日

ヨイトマケの唄

ヨイトマケの唄


前に一度、書いた話ですが、もう一度書きます。

ヨイトマケの唄は、私が小学校の頃に発表されたので、
何度か聞く機会はありました。

中でも一番印象的だったのが、
「ちびっこ歌合戦」という子供が歌を競うテレビ番組でのこと。

小学校5年か6年くらいの男の子が歌ったのですが、
それがとても情感がこもっており、子供心に強く伝わってきたのです。

実はその少し前に、ある出来事があったのでした。

私の実家は、家の隣に一軒の小さな借家を持っており、
そこには元気なオバちゃんと、
その息子である優しいお兄ちゃんが住んでいたのですが、

戦争に行ったオジサンはとうとう帰ってこなかったので、
オバちゃんが一人でお兄ちゃんを育てていたのです。

そのためにオバちゃんが働いていたのが工事現場、
つまりオバちゃんはヨイトマケの唄に出て来るかあちゃんみたいな、
日雇い労働者だったのです。

当時の日雇い労働者に対する意識は、
ヨイトマケの唄に出て来る通りの、ひどいものでした。

だけど私は元気で明るく力持ちのオバちゃんが大好きだったのです。
お兄ちゃんも友達がいっぱいいて、
よくみんなで遊んでくれたものです。

オバちゃんとお兄ちゃんと私の日常には、
差別のかけらなど一つも見当たりませんでした。

そんなある日、遠足の日のことです。

私達の遠足とは、近くの山へ歩いて行くのが通常のコースです。
みんなでじゃれながら歩くのは楽しいもので、
ときどき歌を歌ったりしながら、
川にさしかかった時、橋の向こうでは、護岸工事が進んでおり、
白い手拭いにモンペ姿の日雇いの人達の姿が見えました。

その瞬間、私の背中に冷たいものが流れたのです。

働いている人の顏は見えないのだけれど、
もしかして、オバちゃんがいるのでは?????

大好きなオバちゃんと会えるのは嬉しいことです。
クラスメート達さえいなければ・・・・。

もしオバちゃんがいたら、どうしよう。
挨拶なんかしたら、みんなにからかわれるに決まってる。

男子は馬鹿にするに違いないし、
女子は眉をひそめてヒソヒソ何か言ったりするだろう。

私はなるべくそっちを見ないように、
友達の陰に隠れるように歩いていきました。
その人達のそばに来たときです。

「つかさちゃん。」

やっぱり、オバちゃんはいました。
軽く手をあげ、嬉しそうに、いつもの明るい元気な顏で、にこにこしています。

私は、それを無視しました。
気づいてないようなフリをして、足早に通り過ぎたのです。

「誰?知り合いじゃないん?」
と、友達が言いました。

「知らん。」
小さな声で言いながら、
横目でちらっと見たオバちゃんは、
それ以上は何も言わずに静かに手をおろし、仕事に戻っていきました。

オバちゃんの顏からいつもの笑顔がすうっと抜けていくのが
映画のシーンみたいに、
今でも私の記憶から抜けません。

その日の夜、
私は母からこっぴどく叱られました。

オバちゃんが、その出来事を母に言ったそうです。
悲しかったと。

母は、私がどれほどオバちゃんに可愛がってもらっているか、
オバちゃんがどれほど苦労してお兄ちゃんを育てているか、
激しく私に言って聞かせるのですが、

そんなこと、そんなこと、子供の私だってよくわかっているのです。
だから、そんな自分が恥ずかしくてたまらなかったのです。

「ちびっこ歌合戦」で少年が歌ったヨイトマケの歌を聞きながら、
私はその苦い苦い事件を思い出していたのでした。

そんなことがあってから、
オバちゃんは私に冷たくなったと思う?

ところがそんなことはちっともなくて、
変わらずオバちゃんは私を可愛がってくれたのです。

今でも思い出すと恥ずかしく、涙が出そうなエピソードなのですが、
きっと死ぬまで忘れないし、忘れてはならないと思っているのです。


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Posted by キリンさん at 12:48│Comments(4)王様の耳はロバの耳
この記事へのコメント
高校時代、参観日などには滅多に来ない父親が来たときのことを思いだしました。

父親が大嫌いだったので無視しましたが
その時の父親の顔が忘れられません。

恐らく一生忘れないし、忘れられないだろうと思います。
Posted by てっちゃーん at 2013年02月28日 15:35
てっちゃーん

若い頃って、
なんであんなに思いやりがなかったんでしょうね。
恥ずかしいことだらけです。

私も親に対する態度は
隣のオバちゃんどころの騒ぎじゃなかった。
きっと繰り返し傷つけただろうと思うこと多々あり。

お父様のことは
忘れずに何度も思い返すことが恩返しかと。
そう思いましょう。
Posted by キリンさん at 2013年02月28日 16:06
ヨイトマケとは少し違いますが、逆の立場でのエピソードがあります。

娘の園でのお弁当の日。
日頃から偏食で食が細い娘に、少しでも意欲的にお弁当を食べて欲しくて、テレビのキャラクターを模したお弁当を作りました。
元来、不器用なので出来たのは
とーーーっても不細工なテレビキャラクター。。。
作り直そうかとも思いましたが、時間もなく、材料も限られ。
それでも、もしかしたら、喜んでくれるかもしれない?と淡~い期待を込めて娘に見せると

「こんなのプリキュアじゃない!」

と怒りました。
当然です。前の晩から、とても楽しみしていてワクワクしながら眠ったのですから。私が下準備をしているのを、嬉しそうに見ながら床についたのですから。


…やっぱりなぁ。作り直そう!と、色々手直ししてみるものの、一層不細工になる始末。
どうしようもなくなり、娘に謝りました。
「ごめんね。上手く出来んかった。お目々のとこ、変やとよね~。」



すると娘は態度を一転し
「うん!プリキュアやね♪これでいいよ!」と笑顔を見せたのです。



娘が三歳の時の話です。
三つの子に、それも我が子に、気を遣わせてしまったのだ と悲しくなりました。
お弁当の時間を、どんな思いで迎えて、どんな顔でお弁当を開けて、どんな風に食べたんだろう。
それを思うと、不器用な私を呪い殺したくなる程、悔しくて。


自分の気持ちに正直に反応すること。
何が正解かはわかりませんが、それもまた誰かにとっては正答なのだと思います。
Posted by いち at 2013年03月02日 14:30
いちさん

私が幼稚園のとき、
やはり偏食がひどく食の細かった私のために、
母が当時は高価だったバナナを
お弁当に入れてくれました。

ところが寒い季節だったので
先生がお弁当をストーブの上で温めてくれ、
バナナは半煮えで臭くなってしまったのです。

それを残した私は、
こっそり川に捨てました。
怒られると思ったのではなく、
母にがっかりされたくなかったので。

子供にとって、
大好きな大人の悲しい顏というのは
ものすごく胸に刺さるものなのですよ。

ちょっと違うかもしれないけれど、
人間関係は
色んなエピソードを積み重ねて出来上がるのかと。

正解など、ないのでしょうなあ。

でも、たとえ傷付け合っても、
確かな愛情があれば、
それもまた結果的には絆を深めることもあるのかと。

私がネタを披露するのは、
つまるところ人間賛歌なのかも。
Posted by キリンさん at 2013年03月03日 12:55
 
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